──どのくらい時間をかけたとかも?

「たぶん半日くらいだったはずだよ。即興演奏したんじゃないのかな」

──初期のピンク・フロイドにとってシド・バレット(2006年死去)の存在は、重要と言えますか? リーダーと表現する人もいます。

「僕らは一度として、リーダーという考え方をしたことはない。常に民主主義を貫いてきた。リーダーと言われるのは、曲を最も多く書くメンバーだ。シドはまさにそうだった。フロントマンという言葉がぴったりだと思う。その後はデヴィッド・ギルモアがフロントマンとなったが、曲づくりの上ではロジャー・ウォーターズに発言権があった。そのせいで逆にバンドのバランスがとれていたのだと思う。シドの場合まさにフロントマンだったんだよ」

──最終的には彼との関係に終止符を打たなければならなかったわけですが、ピンク・フロイドの歴史の悲しい一ページですか?

「避けられなかったんだ。今振り返ってみれば、他にやれることはなかったから。もっと彼の面倒をみてやれればよかったんだが……」(取材・文 高野裕子)

週刊朝日 2016年12月16日号