『学問のすゝめ』『文明論之概略』などの著書で知られ、慶応を創設した福澤諭吉。その子孫、福澤武・元三菱地所社長は大学入学資格検定(当時)を経て、慶大に入学した。日本経済新聞の「私の履歴書」で、諭吉についてこう回顧している。

〈ちなみに、諭吉は下級武士の出身である。「門閥制度は親の敵」と唱え、既得権益者にめっぽう厳しかった〉

 そんな諭吉の慶応に、資産家や同族企業の子弟が多く通い始めたのはなぜか。

『日本の15大同族企業』(平凡社新書)の著者で、経済学博士の菊地浩之さんは、こう分析する。

「福澤諭吉の著書は、地方の資産家に人気があった。明治時代に慶応は経営不振で学費を上げ、慶応には資産家の子弟が集まるようになった。学費の高い幼稚舎からエスカレーター式で大学まで進めると、資産家にとってはとても有利。資産家の人脈で大学のブランドが上がり、偏差値が上昇して優秀な人材も集まるという好循環が生まれた」

 同族企業のなかで、早大色が強かったのは、西武鉄道だ。創業者の堤康次郎と三男の義明は早大出身。積極的なリゾート開発などで、一大グループに育てた。

「康次郎は政治家になりたくて、大隈重信の門をたたいた。鉄道経営は政治資金を生み出すためで、康次郎の人生から言えば、二の次だったようだ。義明は政財界をはじめ、あらゆる分野で強い影響力を持っていた」(菊地さん)

 人数では慶応と比べて少ないものの、非凡な経営者が生まれるのも早大卒の特徴のようだ。

週刊朝日 2016年12月2日号