コンピューターを駆使した舞台装置から極彩色の光線が降り注ぎ、踊り子たちの肌を彩る=2004年5月、東京・浅草ロック座 (c)朝日新聞社
コンピューターを駆使した舞台装置から極彩色の光線が降り注ぎ、踊り子たちの肌を彩る=2004年5月、東京・浅草ロック座 (c)朝日新聞社

 社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一氏が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は1960~70年代に人気を集め、「ストリップ」の女王と称賛された、踊り子・一条さゆりのお話。

*  *  *

 12年前のことである。ストリップについて書こうと思い、斯界の権威(?)で著作もある俳優の故・小沢昭一さんに取材を申し込んだ。東京の蒲田で育ち、学生時代から浅草の劇場に通っていたという小沢さん。長年のうんちくを傾けてくれるものと期待していたら、こんな手紙が返ってきた。

「若いときの報いか、すっかりあがってしまいまして性欲絶滅しました。そうなるとストリップへの関心も絶滅しまして、もう長いこと見ておりません。話をするのも抵抗があります。お話するのを今回はお許し願えないでしょうか」

 パソコンかワープロで印字したらしく、末尾には「小沢昭一・コメントとして」と書かれていた。付き人が代わりに打ったのかもしれない。見事に期待を裏切られ、落ち込んでしまったのだが、次の一文が添えてあった。

「若いときはストリップ礼賛を言い続け、書き続けました。最近それが本になっております。よろしければ進呈します。そこから、私の言として、使いようがあれば使って下さっても結構です」

 これぞ「小沢昭一的気配り」と言っていいだろう。しかも結びの言葉にじんときた。

「大朝日にストリップの記事がでるのはうれしいことです。ストリップをよろしくお願いします」

 大朝日とは汗顔の至りだが、この言葉に励まされるように、私はストリップの取材を始めるようになった。裏も表もある世界。人には言えない苦労もある。つらいとき、くじけそうになったとき、私は小沢さんからの「ストリップをよろしくお願いします」の言葉を思い起こす。

 同封してあった本は、そのころ刊行された小沢さんの随筆随談選集4巻『いつものように幕が開き』(晶文社)だった。ページをめくるとストリップについての記述があった。

「すべてもののはじまりは、ドサクサまぎれに出現してくるものだ」と書かれ、「ストリップのおかげで、私は慰められ、鍛えられ、修養させてもらい、芸能及び芸能者の本質を知らされもしたのである。それはスケベの副産物であろう」とある。

 小沢さんによると、ストリップこそが「現代に生きるピカピカの放浪芸」となる。「香盤」と呼ばれるスケジュールをもとに10日単位で日本各地の小屋から小屋へ渡り歩く。楽屋泊まりを重ねて1年365日の大半を旅先で過ごす踊り子もいる。いみじくも小沢さんが指摘していたように、日本の興行界の中で「原始的職業芸能者の放浪性」を最も色濃く残しているのがストリッパーという職種であろう。

次のページ