「反権力の象徴」だった? ストリップの女王「一条さゆり」の生き様 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「反権力の象徴」だった? ストリップの女王「一条さゆり」の生き様

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コンピューターを駆使した舞台装置から極彩色の光線が降り注ぎ、踊り子たちの肌を彩る=2004年5月、東京・浅草ロック座 (c)朝日新聞社

コンピューターを駆使した舞台装置から極彩色の光線が降り注ぎ、踊り子たちの肌を彩る=2004年5月、東京・浅草ロック座 (c)朝日新聞社

 ストリップ全盛の昭和時代は多くの踊り子が出た。中でも「反権力の象徴」として語り継がれてきたのが一条さゆりである。一条の前に一条なく、一条の後に一条なし。そういわれた伝説の踊り子。小沢さんが心の底から敬愛していた踊り子である。

 彼女の経歴を簡単に説明しよう。

 本名・池田和子。昭和12(1937)年生まれ、埼玉県育ち。ストリップ界にデビューしたのは昭和30年代。作家・駒田信二の小説『一条さゆりの性』で人気に火がつき、「ストリップの女王」と称賛された。

 昭和47年、大阪・吉野ミュージックでの引退興行中に公然わいせつ容疑で現行犯逮捕。最高裁まで争ったが、懲役刑が確定。昭和63年、大阪・釜ケ崎の酒場で働いていたとき、交際中の男性にガソリンをかけられ大やけどを負う。生活保護を受けながら釜ケ崎解放会館の3畳一間で暮らした。

 平成9(1997)年8月3日、肝硬変のため60歳で死去。葬儀には、労働者ら約100人が参列した。

 大学闘争の嵐が吹き荒れたころから1970年代にかけて、一条は「特出しの女王」と呼ばれ、新左翼やウーマンリブの活動家らからは「反権力の象徴」と祭り上げられた。既成の権威からはみ出したものに学生や文化人の注目が集まっていた時代。アングラ演劇、日活ロマンポルノ、東映のやくざ映画とともに一条も人気の頂点にあった。

 ほかの踊り子には絶対まねできない秘芸があった。舞台に寝て自慰を演じながらもだえる「ベッドショー」である。赤いロウソクに火をつけ、溶けたロウを全身に垂らす。クライマックスに達したとき、秘部からとろりと液体が流れ出る。それが照明に照らされて神々しい輝きを放つのだ。

 元劇場オーナーの一色凉太さん(73)は「照明の青白い光の中にダイヤモンドがきらめいているというか……。あれは演技ではないと思った」。でも液体は本物ではなかった。脱脂綿にミルクをたっぷり含ませて枕元に置き、体をひねらせるとき、客にわからないよう奥に押し込んだという。

 それはまあ、どうでもいい。

 陰のあるストリッパーだった。「男にだまされてストリップの世界に入り、男から逃げよう逃げようとして逃げられず、多分泣きながら、どこかへ消えてゆきました」と小沢さんが著作に書いたように、たしかに男運に恵まれなかった。マスコミも騒ぎすぎた。当然警察も目をつける。引退興行中での現行犯逮捕。「あと数日で無事に引退興行を終え、ストリップ界から離れるというときに、あれはあきらかに見せしめだった」と関係者は振り返る。

 晩年は寂しかった。身寄りもなく、酒におぼれる日々。膨れあがる虚像と実像。体が次第にむしばまれ、美貌は奪われ、最後は身を滅ぼした。同じくストリップ界の大スター、ジプシー・ローズも楽屋で酒を隠れて飲んでいたといい、とうとう舞台に立つことができなくなってしまった。ローズは昭和40年に30代で引退。山口県防府市でスナックを始めたが、2年後に亡くなった。

 どんなに観客から喝采を浴びても、舞台を降りれば普通の女性に過ぎない。大スターゆえの悲劇。昭和のストリップ界にはなぜかそんな悲しい話が多い。

週刊朝日  2016年9月2日号


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