ホワイトハウスの記録によれば、田中はキッシンジャーの前で、吉田茂元首相にみずから触れて「私は吉田学校の優等生でした」と自己紹介した。

 キッシンジャーが「新聞では、大臣は、佐藤首相の後任になるかもしれない指導者の一人であると書かれています」と水を向けると、田中は「新聞はたいてい百%間違っています」と答えた。謙遜したつもりだったのだろうが、1カ月もたたないうちに自民党総裁選に立候補して佐藤の後任首相になった。キッシンジャーの立場で見れば、ウソをつかれたことになる。

 キッシンジャーが台湾との関係について質問すると、田中は、日米の政策は共通であるべきだ、と答えた。ところが、3カ月余り後、首相になると田中は、米国より6年余も先駆けて、共産党支配の中国と日本の国交を正常化し、台湾と断交する道を選んだ。

 田中内閣発足後の8月、米大使館が国務省へ送った公電によれば、「にわか成り金であることから来る田中の虚飾や尊大さ」は、西洋人には容易に見抜くことができても、ほとんどの日本人は気づくことができず、そのため、田中は人気がある、と分析された。

 田中は、素早く決断を下し、その決断を容赦なく実行に移すことで知られ、「コンピューターつきブルドーザー」の異名をつけられているが、「田中の手法は、最終的にうまくいくかもしれないし、場合によっては、彼の政権に予期不能の結末をもたらす可能性もある」とも予測された。

 さらに「田中は世論の影響を受けやすく、その世論は日米安保条約について相矛盾する両面的な態度を示してきた」と国務省政策企画スタッフのアマコストが国家安全保障会議に送った文書では分析された。(敬称略)

週刊朝日 2016年8月5日号より抜粋