謝罪する三菱自動車の首脳陣(20日) (c)朝日新聞社
謝罪する三菱自動車の首脳陣(20日) (c)朝日新聞社

 三菱自動車は1970年、三菱重工業の自動車部門が独立して生まれた会社だ。ゼロ戦に代表される軍事技術を土台に、戦後は「ジープ」を手掛け、モータリゼーションの爆発とともに自動車産業に打って出た。

 宣伝文句は「技術と信頼の三菱」。売り上げではトヨタ、日産に及ばないが、技術には絶対の自信をもっていた。ギャラン、ランサー、ミラージュ、玄人好みの個性的なクルマを開発。「燃費の差は技術の差」をうたい文句にしたほどだ。

 なぜ今回のデータ改ざんにまで追い込まれたのか。「技術の三菱」では近年、技術者の退職が目立っていたという。大学の自動車系学科で、評判は急落。OBから伝わる情報もけっしていいものはなく、学生人気は低下した。「技術と信頼」を深く傷つけたのが2度にわたる大規模な欠陥隠しだった。

「欠陥隠しは消費者の信頼を裏切り、さらにはまじめに取り組む技術者の誇りを傷つけた」。技術者を送り出してきた早稲田大学の大聖泰弘教授(自動車工学)は語る。難破船からネズミが逃げるように、劣化した企業から技術者は離れる。

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