竹内まりやも「希有な存在」と評す 没後30年、岡田有希子とは何だったのか (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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竹内まりやも「希有な存在」と評す 没後30年、岡田有希子とは何だったのか

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今なおファンが大切に保管するグッズの数々(撮影/写真部・長谷川唯)

今なおファンが大切に保管するグッズの数々(撮影/写真部・長谷川唯)

 愛知県に生まれた岡田は、絵を描くことが大好きな少女だった。いつしかアイドルを夢見るようになり、83年のテレビ番組「スター誕生!」決戦大会に合格。その後、入学間もない名古屋市立向陽高校から東京の堀越高校に転校し、アイドルとしての活動を開始する。

 サンミュージックの相澤秀禎社長(当時、故人)宅に寄宿し、念願の歌手デビューを果たしたのは84年4月。デビュー曲「ファースト・デイト」の作詞・作曲は、82年の山下達郎との結婚後、楽曲提供に力を注ぐようになっていた竹内まりやであった。竹内にとって、「アイドルらしいアイドル」が岡田に対する第一印象だった。

「スタジオでお会いした時に、お礼が書かれた直筆イラスト入りカードをもらって、すごく嬉しかった。アイドルを夢見て頑張ってきたという真っ直ぐさを内に秘めていて、こちらのディレクションに従ってしっかり歌おうとする姿が印象に残っています」

 キラキラするような、瑞々しい存在感に加え、哀愁を帯びたメロディーにも似合う声質だったために、岡田への楽曲提供は作りがいがあったという。

「あの時代、単純にヒット曲の数や売上枚数でいったら、彼女を上回っていたアイドルはいたと思います。しかし爽やかに登場したあと、活躍の場を広げようとしている最中、たったの3年で姿を消した歌手は日本の歌謡史上でもいません。ファンに夢を運び、純粋にアイドルを応援する喜びもファンに与えましたが、同時にアイドルがアイドルでいることの難しさや孤独を投げかけた。いなくなってさらに存在が大きくなった希有な存在だと思います」

週刊朝日  2016年4月15日号より抜粋


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