落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「新人」。

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 春先、落語界には入門志願者がたくさんやって来ます。

『新人』以前の若者が、寄席の楽屋口でお目当ての師匠が出てくるのを待っているさまは、挙動不審すぎて実に微笑ましいものです。

 私もおんなじでした。

 15年前、4月21日から7日間。新宿末廣亭の楽屋口から10メートルほど離れた、向かいのビルの社員通用口の凹みで、従業員にチラチラいぶかしげに見られながら、師匠を待ち続けていました。

 なにも7日待ち続けなくても初日に声を掛けりゃよかったんですが、根が臆病なもので、

「あー、師匠、向こうに歩いてっちゃった……明日にしよう」
「今日、機嫌悪そうだな……明日にしよう」
「あれ? 雨降ってきた。今日はやめて晴れの日にしよう」
「あらー、今日お休みか? じゃ明日にしよう」
「なんかおなか痛くなってきた……うーん、明日にしよう」
「よし、行くぞ!……(すれ違って)……通り過ぎちゃった……そうだ、明日にしよう」

 そんなこんなでようやく27日に師匠に声を掛け、弟子入りのお願いをしたのでした。

 15年経って、こんなチキン野郎にも入門志願者が来るようになりました。一昨年、初めて弟子をとったら、

「あ、この人、弟子とるのね」

 というかんじで今年の春も何人かパタパタと。ありがたく、嬉しいことですが、悩ましくもあります。

 
 弟子をとるのは師匠に対する恩返し、という考え方もあるのですが、その人の人生も考えなきゃいけないと思うのです。

 みな落語が好きで噺家になるのですが、好きだからって明らかに向いてない人が噺家になるのはその人にとって幸せなのか……? 向き不向きは一目じゃわからないんですが、第一印象ってけっこう当たったりするものです。なまじ、本職にならないほうがこの人は落語を好きでいられるんじゃないか……。大きなお世話かな。

 かといって、たとえ話術は拙くても妙な味が出たりするのも噺家という商売だったりします。大化けする人もいるわけで。私が断ることで、その人の可能性の芽を摘んでよいものか……。

 とか、とか、行ったり来たりと悩むもんです。ホント、かなり悩む。なんで他人のことでこんなに気に病まなきゃいけないのか、ちょっと腹立つくらい悩む。まぁ自分も通ってきた道だから、悩むのも誠意かと。

 だから、あえて冷たく断ります。情が移ると断りづらくなるから。「よその師匠のほうがよいですよ」とも言います。これは本心。私みたいな若造を師匠にするより芸のしっかり固まった、地に足のついたベテランの師匠のほうが絶対によいのです。

 でも「弟子にしてくれ」と言われるのは光栄ですけどね。冥利というヤツですけども。

 弟子にとる基準とか確固としたものはないんですが、あるとするならただ“フィーリング”。悩みつつも、けっこうそんなもんだったりもします。

 道端で「履歴書読んどいてください!」と渡されて、備考欄に「面接の日程が決まったら連絡下さい(平日の11~20時、出来れば○日までに)。待ってます」とあった日には、悩むのも馬鹿馬鹿しいくらいですが……。いや、マジでいるんですわ。

週刊朝日 2016年4月8日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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