木下家19代当主・木下崇俊「家宝は大名の暮らし綴った『慶長日記』」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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木下家19代当主・木下崇俊「家宝は大名の暮らし綴った『慶長日記』」

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「慶長(けいちょう)日記」は別格です(※イメージ)

「慶長(けいちょう)日記」は別格です(※イメージ)

 貴族や武将の家に伝わるお宝。豊臣秀吉の血を受け継ぐ木下家19代当主・木下崇俊氏の家には意外なモノが引き継がれているそうだ。

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 さぞかし立派なお宝をお持ちでしょう、と聞かれることがあります。残念なことに、わが家は家系が数百年にわたって明確なこと以外は何もない貧乏大名の末裔(まつえい)ですから、これといった物は残っていません。ただ、「豊臣」の印章と「慶長(けいちょう)日記」は別格です。

「慶長日記」は、わが家の初代・延俊(のぶとし)の慶長18年、1年間の行動記録です。延俊が2人の家臣に命じて書かせたもので、一日も欠かさずつけられています。

 当時の大名の暮らしぶりが詳しく書かれている記録としては唯一と言っていいそうです。貴重なだけでなく、読めば窮屈で堅苦しい大名のイメージが覆ります。慶長期の大名は自由で生き生きとして、なかなか楽しそうなのです。

 日記は江戸で迎えた正月から始まります。延俊にとって2度目の江戸滞在。2日に江戸城に出て、2代将軍秀忠への参賀をして、小袖をふたつ拝領しました。

 延俊は、とにかく外出が多い。このあと2月初めに江戸を出発するまでに登城したのは3回だけですが、それ以外の日は連日連夜、会食や茶会、謡の会で、大名や幕臣たちと親交を深めていました。帰りが深夜になることも珍しくなかったようです。

 江戸滞在で出てくる名前だけでも50人ほど。福島正則、本多正信、大久保忠隣(ただちか)、土井利勝、酒井忠世(ただよ)、蜂須賀至鎮(よししげ)など、そうそうたる顔ぶれです。延俊はなかなか社交的な性格だったようです。


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