田原総一朗 女性経験は女房以外、「仕事で」NY娼婦だけ (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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田原総一朗 女性経験は女房以外、「仕事で」NY娼婦だけ

連載「ギロン堂」

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田原総一朗たはら・そういちろう 1934年生まれ。早稲田大学文学部卒。ジャーナリスト。岩波映画製作所を経て東京12チャンネルに入りドキュメンタリー番組を制作。77年にフリーになり、執筆活動とともに、「朝まで生テレビ!」など、テレビジャーナリズムでも活躍。『安倍政権への遺言』(朝日新書)、『日本人と天皇』(中央公論新社)など多数の著書がある(撮影/写真部・堀内慶太郎)

田原総一朗
たはら・そういちろう 1934年生まれ。早稲田大学文学部卒。ジャーナリスト。岩波映画製作所を経て東京12チャンネルに入りドキュメンタリー番組を制作。77年にフリーになり、執筆活動とともに、「朝まで生テレビ!」など、テレビジャーナリズムでも活躍。『安倍政権への遺言』(朝日新書)、『日本人と天皇』(中央公論新社)など多数の著書がある(撮影/写真部・堀内慶太郎)

帯津良一おびつ・りょういち 1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。『死を生きる。』『がん患者治す力』(朝日新聞出版)など多数の著書がある(撮影/写真部・堀内慶太郎)

帯津良一
おびつ・りょういち 1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。『死を生きる。』『がん患者治す力』(朝日新聞出版)など多数の著書がある(撮影/写真部・堀内慶太郎)

 ジャーナリストの田原総一朗さん(81)は、がん診療とともに、養生にも造詣が深い名医・帯津良一先生(79)との対談で、女性との恵まれた出会いについてこう語った。

*  *  *
帯津さん(以下、帯):自伝の『塀の上を走れ』(講談社)も読ませていただきましたが、女性には恵まれていますね。最初の奥さんも次の奥さんもいい方ですね。

田原さん(以下、田):確かに最初の女房は、テレビ東京を辞めるって言ったら、あ、そうって。反対しなかったですね。感心しました。それから映画をつくるときは、悪いけれど貯金全部出してくれる?と言ったら、すぐに出してくれました。

帯:次の奥さんにも助けられているでしょう。

田:2度目の女房はすごかったですよ。僕が原稿を書きますね。すると横にいて原稿用紙をとって赤で直すんですよ。女房が全部直してくれる。テレビでも本番が終わるとまず女房に電話する。そうすると8割ぐらいこてんぱんに言われる。

帯:そして、今も素晴らしい彼女がいらっしゃる。3人の女性に恵まれるというのは大したものです。

田:そうですか。いや、要するに女性って3人しか知らないんです。

帯:3人しか経験がないということですか。

田:どうも好きでないとできない。でも実は仕事でやったことはある。ニューヨークのマフィア酒場で店内を撮らせてくれと言ったら、店にいる娼婦とやったら撮らせると言う。しかたがないからコトにいたった。

帯:それもまた大したものですね。

田:僕はやっぱり男女の関係って相手を尊敬し合っていないとダメだと思うんです。愛し合うということは尊敬し合うこと。今の彼女に対しても相当尊敬していますよ。で、いつも怖いと思っている。いつ振られるかわからないから。結婚した2人の女性にも、捨てられるんじゃないかと常に恐怖感があった。だから捨てられないために、必死に愛し合わなければと思っていました。

帯:自信があまりなかったんですか。

田:そう、まったく自信がない。不器用で才能がなくて鈍感ですから。

帯:不器用なんですか。


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