中学、新制高校と、陸上競技部でひたすら走るしかなかった。

 どうも岐阜県内の中距離走者でいちばん速そうだと、高校3年の23(48)年、第3回福岡国体の高校男子400メートル走に出場しました。そして予選であっという間に負けたら、先生が、「篠田、いい加減に受験勉強やれや」と。母親と観た歌舞伎の世界、近松門左衛門らの演劇を学ぼうと早稲田大に進学したんです。

 早稲田でも競走部に入り、箱根駅伝で2区を走ったんですよ(笑)。その競走部の練習中に映画の世界に進もうというインスピレーションを得た。大学の社会学の講義でキンゼイ・レポートに触れましてね。ご承知のようにアメリカの男女の性衝動や性的指向などを統計学的に分析したレポートです。で、ランニングの練習で街に走り出すと、1940年代の新宿ですからアメリカのシボレーやフォードが走っている。しかも運転しているのが銜(くわ)え煙草の女性。すると、社会学の教授が言っていた戦中のアメリカの様子が瞬時に頭に浮かぶ。男たちが戦場に行き、中年男の職場を女性たちが肩代わりし、煙草を嗜好とする者も多くなった。そして男女の平等化が離婚率を高めたと――シボレーに同乗する男女を見かけた1秒の何分の1かの間に、40年代のアメリカ社会と男女の関係が理解できるわけです。私は一瞬のうちに事物を自覚できるのなら、映像言語というものは文学言語や小説言語、演劇言語に匹敵する世界を描けるんじゃないかと思ったんです。

 ですから私は、古典演劇と陸上競技をやっていなかったら、映画の世界には入っていなかった。

週刊朝日 2015年12月25日号より抜粋