「いままでたくさん傷つけてゴメンな。最後にAに会いたかったよ。これからもたくさん辛いことあるかもやけど、Aには幸せになって欲しい」(午後8時4分)

 この後、2人は電話で最後の話をした。Aさんはこう言う。

「翔ちゃんは『今な、首吊ったんやけど、5秒くらいしたら意識がなくなってな、気づいたら床に倒れてた。ひも切れたんやわ。このロープ太くしたらもう一回できるかもしれへん』と言って泣いてました。私は仕事中だったから『そんなことしたらあかん。またすぐに連絡するから待っててな』と言って、電話切ってすぐにライン出したけど、もう連絡が取れなくなった」

 現場には遺書が残っており、こう記してあった。

≪機動隊に異動してから半年、先輩の嫌がらせや上司からのウソつき呼ばわりには精神的に限界です≫

 そして同じ機動隊員3人の名前が書かれていた。

 直美さんは言う。

「嫌がらせをした3人の名前を残したんだと思います。ちゃんと調べてほしい」

 翔さんの死後、10月5日に監察官が直美さんのもとを訪ね、こう説明したという。

「これから、関係者86人に事情聴取し、真相を明らかにします」

 だが後日、再び監察官がやって来たときには事情聴取する対象は約半分に減少し、「翔さんは職場を変わりたがっていた」と問題がすり替わっていたという。

 直美さんによれば、翔さんが9月初めに実家に帰ってきたとき、「機動隊では何を聞いても無視されるねん。教えてもくれないのに、おれだけしょっちゅう怒られる」と話したという。

「独身寮の裏側はグラウンドで生活と訓練が一体になっていた。『指導』という名のもとにいじめがあったのではないでしょうか。翔のスマホには、お尻を出して割り箸をはさむ一発芸をやっている男性の写真が残っていた。機動隊の悪ふざけに近いノリで、何でも強制的にやらされて、拷問みたいな日々だったのではないでしょうか」(直美さん)

(本誌・上田耕司)

週刊朝日 2015年11月20日号より抜粋