●東京工業大学大学院 理工学研究科教授 鈴森康一

すずもり・こういち=1959年生まれ。著書に『アクチュエータ工学入門』など。

(1)『発想工学のすすめ やわらかい機械』森 政弘 講談社ブルーバックス (品切れ)
(2)『ロボット創造学入門』広瀬茂男 岩波ジュニア新書 840円
(3)『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか 工学に立ちはだかる「究極の力学構造」』鈴森康一 講談社ブルーバックス 880円

『発想工学のすすめ』は私が大学1年の頃に読んだ古い本である。心の片隅にずっと残っていて、本棚の奥からひっぱり出して37年ぶりに通読した。
 森先生は、ロボット工学のパイオニアである。仏教にも造詣が深く、工学と仏教の教えを絡めながら技術哲学論が展開される。柔軟で自由な発想/考え方は現在でも刺激的で大変面白い。いやむしろ、ロボット開発の経済的・実利的側面ばかりが重視される今だからこそ、本書の気品高い技術論には心洗われる。
 若き日の本田宗一郎氏や、いまはロボット工学のレジェンドが「君」づけで登場し、その熱い青春時代に触れられるのも魅力である。
 森先生がロボット工学黎明期の第一人者ならば、『ロボット創造学入門』を著した広瀬先生は発展期の第一人者と言えるだろう。
 本書では、ヘビ型ロボット、歩行ロボット、地雷探索ロボット等々を例に「ロボット創造」に対する著者の思いが熱く語られる。開発に伴う苦労/喜び、ロボットの将来、ロボット開発施策、若者へのアドバイス等々、数々の優れたロボットを開発してきた著者ならではの迫力ある内容だ。
 ジュニア向けの優しい語り口になっているが、内容は年齢を超えて価値を持つ。
『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』は自分で言うのもなんだが、かなり面白く仕上がった一冊である。
 自然界で進化と淘汰の長い時間を経て生まれた生き物と、エンジニアが知恵をしぼり工学の知識を駆使して設計したロボット……。対極にある両者の構造や動く仕組みを、筆者の経験を基に、ロボット設計者の視点から眺めてゆく。
 ロボットや生き物に対する視野の広がり、神様の設計の意図を工学の知見で理解してゆく面白さ、自然の素晴らしさへの感銘と畏敬の念、生き物の体構造から得られる新しいロボット設計のヒント、さまざまなものが見えてくるはずだ。

●東京大学文学部教授 沼野充義

ぬまの・みつよし=1954年生まれ。専門はロシア・ポーランド文学。著書に『ユートピア文学論徹夜の塊』『世界文学から/世界文学へ 文芸時評の塊 1993-2011』など。

(1)『ロボット』カレル・チャペック著 千野栄一訳 岩波文庫 600円
(2)『未來のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン著 齋藤磯雄訳 創元ライブラリ 1500円
(3)『ソラリス』スタニスワフ・レム著 沼野充義訳 ハヤカワ文庫 1000円

「ロボット」と言えば、普通は金属で作られた機械的なものだが、そのイメージに反するものたちを紹介したい。
 まず何と言っても、チェコの作家チャペックの戯曲『ロボット』(1920)。そもそも「ロボット」Robotという言葉、じつはチェコ語をもとにチャペックが考案したものだ。チャペックの「ロボット」は人間の代わりに労働をしてくれる、便利な人造奴隷といったところである。そのロボットたちが反乱を起こして……というストーリーは、その後のロボットものSFの原型になった。
 チャペック以前の「アンドロイド」(人造人間)ものとして有名なのが、フランスの作家リラダンによる『未來のイヴ』(1886)。体は美しいのに心が下品な女に幻滅した男のために、発明家エディソンが理想の人造女性を作るという話だ。美と恋愛をめぐる議論は現代に通じるものがある。
 最後にポーランドのSF作家レムの代表作『ソラリス』(1961)を挙げておこう。謎の惑星ソラリスの表面を覆う原形質状の海が、人間の記憶をもとに、実物と寸分違わない複製人間を作り出す。これこそは究極のロボットなのかもしれない。しかし、こういうロボットはわれわれの存在の基盤とは何か、根本から問い返す力を持っている。
 それにしても、人はどうして人間そっくりの「ロボット」を作りたがるのか?これは「神の業」を人間の手にとりもどしたいという人間の見果てぬ夢であり、様々なロボットの中でも人間型のものこそが、われわれの野心と好奇心をかきたてるのだ。人間はロボットの創造を通じて、結局は、人間とは何かという究極の難問を解こうとしているのだろう。
 機械仕掛けではない「ロボット」の元祖は他にも色々ある。たとえば西洋の錬金術師は「ホムンクルス」(小さな人間)を作ろうとしたし(ゲーテの『ファウスト』にも登場する)、ユダヤ人の伝説には泥から作られた巨人「ゴーレム」というものもあった。

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