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人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの
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 人の感情を理解する人型ロボット「ペッパー」が発売され、マツコ・デラックスそっくりの「マツコロイド」がテレビに登場するなど、ロボットや人工知能がますます身近な存在になってきました。そこで、週刊図書館では、理系・文系を問わず、人工知能やロボットをより深く知るための本を集めました。8人の専門家に「私のベスト3」を選んでいただきました。

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●東京大学大学院 工学系研究科准教授 松尾 豊

まつお・ゆたか=1975年、香川県生まれ。人工知能学会倫理委員会委員長。共著に『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』。

(1)『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾 豊 KADOKAWA 1400円
(2)『昆虫はすごい』丸山宗利 光文社新書 780円
(3)『あなたの人生の物語』テッド・チャン著 浅倉久志ほか訳 ハヤカワ文庫 960円

 人工知能が話題を集めている。が、そこにはさまざまな誤解も多い。人工知能の可能性を過小に評価するかと思えば、逆に過大評価して人間に対する脅威と唱える論すらある(もっともハリウッド映画はだいたいこのパターンである)。
 拙著『人工知能は人間を超えるか』は、現在の人工知能の技術とその可能性について解説している。ここで扱っている知能は、個体としての知能、つまり、人間が生まれてから死ぬまでに、学習し賢くなる脳の仕組みとしての知能である。
 ところが、知能の話を突き詰めれば突き詰めるほど、知能とは人間の生物としての原理に駆動されているものであることを思い知らされる。『昆虫はすごい』は、一転して昆虫がいかに生き残っているかの話だが、驚きの連続だ。敵をだましたり、操ったり、また仲間と協力するために自らの形まで変える。まさに、個体の知能と同じようなことを、集団によって、そして遺伝子の最適化によって実現している。人間の知能と昆虫の集団としての知能、この二つを対比すると、実は異なるやり方で全く同じ問題を解こうとしているのではないかと思わざるを得ない。
 では、知能が極限まで高くなるとどうなるのであろうか? これを描いているのが『あなたの人生の物語』というSF小説集に収められている「理解」と題された短編である。この本全体を通して、科学的な描写の正しさは心地よいが、知能が極端に高い存在にとって世界がどう見えるのかを見事に描く。私がこれまでに読んだ本や映画のなかで、最も的確な描写である。
 知能が極端に発達した主人公は、誰よりも予測能力が高く、世界を「ゲシュタルト的に」理解し、自らつくり出した概念に次々と名前をつけていく。しかし、最後は、利己的な主人公と、利他的な敵との戦いが起こる。
 つまりいくら知能が発達しようが、何を大事だと思うかという生存上での目的は変わらないのである。
 知能とは何か、生物とは何か、生きるとは何か。これを深く考えるにはうってつけの3冊だろう。

●大阪大学大学院 基礎工学研究科教授 石黒 浩

いしぐろ・ひろし=1963年、滋賀県生まれ。ATR石黒浩特別研究所所長。著書に『人と芸術とアンドロイド』『アンドロイドを造る』など。

(1)『どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私』石黒 浩 新潮文庫 550円
(2)『ボッコちゃん』星 新一 新潮文庫 550円
(3)『掌の小説』川端康成 新潮文庫 840円

 最近ますますロボットが話題になることが多くなってきた。ロボットは今後さらに進化していくことは間違いないが、現在どのようなロボットが研究されており、今後どのように進化していくかを、まずは私の本『どうすれば「人」を創れるか』を通して知ってもらえると幸いである。特に最近テレビ番組でも話題となっている人間そっくりのロボット、アンドロイドはどのような目的で作られ、それを用いてどのような研究が進められているかを、わかりやすく執筆した。アンドロイドの研究はたんに人の役に立つロボットの研究ではなく、人そのものを知るための研究であり、人はアンドロイドを通して人そのものについて考えるようになる。
 こうしたロボットやアンドロイドの研究開発を牽引してきたのが、SF小説である。そのSF小説の中で薦めたいのは『ボッコちゃん』だ。星新一はロボットに関するショートショートを数多く書いている。ロボットがまだこれほど世の中で話題になっていないときに、もし人と関わりながら人の生活を助けてくれるロボットがいたら、いったいどんなことが起こるのかを、ユーモアを交えながら、未来に対する鋭い洞察力で物語にしている。また、ショートショートという短い小説であるがゆえに、想像の余地が生まれ、自由に未来を思い描きながら楽しむことができる。
『掌の小説』はショートショート同様の短編集であり、私は学生の頃、何度も何度も読んだ。これもまた短いがゆえに多くの想像の余地を残し、読むたびに世界観が変わっていく。文学の楽しさは、映画とは違い自らの想像力によって、世界はいくらでも広がるということだと思う。それは研究にも共通することである。この夏休みに是非とも想像の世界を広げてほしい。

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