ジャーナリストの田原総一朗氏は、日本は核廃絶を世界へ訴えるべきだと理由とこういう。

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 今、広島のホテルでこの原稿を書いている。翌7月24日の深夜、広島で「朝まで生テレビ!」の本番を行うためだ。

 70年前、1945年8月6日午前8時15分、米軍機が投下した原子爆弾が、広島の上空約600メートルで爆発した。そして広島は地獄と化した。約14万人が死亡した。8月9日には2発目の原爆が長崎に投下されて、約7万人が死亡した。

 私は20年ばかり前、アメリカの国務長官だったキッシンジャーに「広島・長崎で二十数万人の死者を出した責任をアメリカ人はどうとらえているのか」と問うた。例えば、少なからぬ日本人が南京虐殺の責任で死刑に処せられているが、アメリカ人は広島・長崎の「虐殺」の責任を取っていない。

 キッシンジャーは、苦しそうに顔をゆがめて考えた末、「もしも原爆を落とさなかったら、日本軍の幹部は本土決戦を敢行して、そうすれば数百万人の日本人が死亡したのではないか」と話した。原爆を投下したから二十数万人の死者で済んだのだと言いたげであった。

 私は「弁解にならない屁理屈だ」と怒ったが、アメリカではその「弁解」が、一般的になっているようだ。

 もちろん、このようなことが二度とあってはならない。広島でも長崎でも、「核廃絶」を誰もが訴えている。そして、これに反対する声はあがらないのだが、現実は「核廃絶」の方向には進んでいない。

 アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国などは依然として核大国であり、インド、パキスタン、イスラエル、さらに北朝鮮と、核保有国はむしろ増えている。

 
 そして「核廃絶」が難しいのは、核には「廃絶」とは矛盾する「抑止力」という機能があるためだ。

 戦後それほど年を経ず、味方であったはずのアメリカとソ連が対立して、にらみ合いがどんどん激しくなった。「米ソ冷戦」である。

 熱い戦い、つまり本物の戦争になってもおかしくなかったのだが、それが「冷戦」となったのは、米ソ両国が核を持っていたからである。

 もしも熱い戦争になれば、当然ながら核戦争になる。そして核爆弾を投下し合えば、両国とも壊滅状態になってしまう。そのことがわかっていたから「冷戦」を続けた、つまり核が「抑止力」の役割をしていたのである。広島・長崎があって「核廃絶」を訴えている日本が、実はアメリカの核の傘で守られているという現実もある。大きな矛盾である。

 しかし、アメリカ、ロシアを含めて核保有国が最も恐れているのは、核がテロリストたちの手に渡ることだ。例えばIS(「イスラム国」)のような、テロを戦略化した集団が核を入手すれば、アメリカを中心に、ISに空爆を行っている国は標的にされるのだ。

 外交の裏舞台の事情通たちによれば、実は現在まで、テロリストたちの手に核が渡っていないのは、むしろ僥倖(ぎょうこう)であり、北朝鮮に限らず、核保有国自体の核管理が危うい状態にあるというのである。オバマ大統領が「核廃絶」を主張したのも、彼自身、核管理の危うさを強く感じ取っているためだという。

 アメリカをはじめとした核保有国は、核廃絶よりも抑止力としての核を優先してしまう。やはり広島・長崎という被爆体験があり、核を持たない日本こそが、世界に向かって「核廃絶」を訴え続けるべきである。

週刊朝日 2015年8月7日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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