ブックセンターの書棚の前に立つ柴田さん(撮影/写真部・岡田晃奈)
ブックセンターの書棚の前に立つ柴田さん(撮影/写真部・岡田晃奈)

 戦後70年をへて、街の本屋さんが危機を迎えている。新刊本が出ると行列ができたほど活字に飢えた時代から、街の中小書店が一軒また一軒と店を閉めていく寂しい時代へ。インタビュアーの木村俊介さんが、東京・神保町をずっと見守り続けてきた岩波ブックセンター店主の柴田信さん(85)に、この70年の思い出を聞いた。

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 神保町という街に集ってきていたのはどんな人たちか。うちの店のすぐ近所の高山本店なら司馬遼太郎さんというような人だったわけです。高山本店は司馬さんが資料を集めるときの専属のような古書店だから、ノモンハン事件について書きたいと相談されたら、巷の噂によれば総額で1千万円を超えるほどの書籍群をそろえるようなことをしてきた。

 小金もうけにもなるけれど、それより何より司馬さんが長年信頼してくれる関係が大事だから、「変な本は出せない」と一生懸命に本を探しますよね。

 そうした姿勢があればこそ、歴史小説を多くものした瀬戸内寂聴さんなども「高山先生」と先生づけで呼んで利用していた店なわけです。そういう方々が集まることが、街の値打ち。目の肥えた古書店へのお客さんが来るという前提でできているのがこの街の特色なんです。

 古書店主には長生きが多いんですが、それは1年や2年にいっぺんは目の前を国宝級の本が通りすぎて「そうだ、これを売ってやろう」という新鮮な興味が湧くからじゃないですかね。不思議な街ですよ。

 そしてこの街がすごいのは、そうそうたる文化人の方々も、図書カード2枚で「神保町だから」と商店街で作っているミニコミ紙に原稿を書いてくれるところです。もっとすごいのは、読書家で知られる大御所俳優に原稿を依頼したものの、「ぜひ書きたいんですが病気で書けなくて」と律義に記してくださったそのはがきが、しばらく時を経たら何げなくどこかの古本屋で値段がついていたらしいこと(笑)。油断できないというか、そんな世界なんですよね……。

週刊朝日 2015年7月10日号より抜粋