医院での診療を続けながら介護する負担は大きく、体重は減り、うつ病を発症。やむなく休診にする日が増えていった。

「このままでは共倒れになる」と、一時、弥生さんを東京の施設に入所させる苦渋の決断をした。

「妻がいると大変、早くいなくなってほしいと思っていたくせに、送り出してしまうと寂しくてたまらないんですね。喪失感に罪悪感も加わった。それでもやはり、あのときはああするしかなかったのだと思います」

 離れ離れの期間に石本医師も入院してうつ病を治療し、医院を再開。5年前、介護ヘルパーの経験がある弥生さんの姉が介護を引き受けてくれることになり、弥生さんは高知に戻ってきた。現在、弥生さんはデイケアやショートステイを利用しながら姉の家で過ごし、診療の合間や休日に石本医師が通う。

「僕はお手本になるような立派な介護をしてきたわけじゃないんです。もう終わりやなと何度も追い詰められました」

 と石本医師は言う。そのたびに夫婦でもがき、周囲の力も借りながら生き延びてきた。苦しいとき、頭に浮かんだのは、かつて小児がん専門医として診療してきた子どもたちの姿だ。

 小児がんは医療技術の進歩で治る病気になった。だが、周囲から差別や偏見の目で見られることもあるし、成長期に強い治療をした影響で治ったあとも長期にわたって障害が出る可能性もある。石本医師は、先々たくさんの困難を背負って生きていくであろう子どもたちに対し、病名を告げ、誇りを持って生きるよう説いてきた。

「子どもたちは葛藤しながらも病気を受け入れ、堂々と前を向いて力強く生きていく。その姿を見てきたから、周囲に妻の病気を隠そうとは思わなかったし、彼女とまっすぐ向き合い受け入れていこうと思えました。子どもたちから教えられていたんですね」

週刊朝日  2015年5月22日号より抜粋