西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、シーズン前の監督の最初の発言は重要であるとこう語る。

*  *  *

 12球団で一斉にキャンプがスタートした。各選手は新たな気持ちを持って初日を迎えたと思う。それぞれ開幕までの道筋、目標は違うが、アクシデントなく、充実したキャンプを送ってほしい。私もさっそく、宮崎からキャンプ視察のスタートを切った。

 私が着目したのは、2月1日の選手の動きもさることながら、1月31日の全体ミーティングで監督が何を言うか、だった。新監督5人が誕生したが、監督が選手、コーチ、そして球団スタッフを前に何を言うか。年間を通じて、全体の場で監督が発言する機会は、この時しかないからね。

 もちろん、監督としての指針を示すことも大事になる。ただ、私の場合は違ったな。西武の監督に就任した95年2月のキャンプ。コーチ陣は、私よりも年齢が上のコーチが多かった。そして私はコーチ経験のないまま、監督となった。だから、まずは経験豊富な先輩コーチに、チームをどう導くべきか、それぞれの担当の立場からの意見をキャンプ中にレポートとして提出してもらった。監督として、コーチを束ね、最終的には私が決断しなければならない。そういった組織の中の立場の違いを明確にする狙いもあった。逆に、88年の現役引退からまだ数年しかたっておらず、主力選手は現役時代から知っていた。その状況で、まずはコーチ陣と意を同じくすることに腐心した。だから、監督1年目のミーティングで細かいことは言っていない。

 ただ、95、96年と連続でリーグ優勝を逃した就任3年目の97年キャンプは違った。清原和博がフリーエージェントで巨人に移籍。4番がいなくなった最初のミーティング。隣にいた選手と少し会話した渡辺久信を突然、「ヒサノブ!」と一喝したよ。それは本気で怒ったわけではない。ただ、チームの空気を締める必要性を感じたからこその行動だった。その年によって、監督自身の立場やチーム状況も変わる。だから、監督は、その年に何が必要かを考えること。発言も当然、変わっていくものだ。

 よく、監督就任時に「どんな野球を目指すか」と聞かれると思うが、私の考え方は、選手の組み合わせによって変わるということだ。監督の考える型にはめれば、選手の個性は消える。どんな選手がいて、どう選手を起用すればチーム力が最大化するか。それがチームの色になる。

 新監督となった5人は、チームをどう導くべきかに頭を悩ませるだろう。しかし、チームは生き物だ。毎年のように変化するチームに何が必要なのかを見極めること。今の野球界は変化が速い。名将となった巨人の原辰徳監督は、近年、厳しい采配や発言が目立ってきているが、それはチームの変化に伴い、危機感を植え付けることが必要と判断してのものだろう。その必要性がなければ、口をはさむことはない。

 監督のミーティングと言えば、私のプロ2年目、1970年の西鉄の稲尾和久監督を思い出す。32歳で監督になって最初は何かやらないと、と思ったのだろう。連日、旅館の大広間で監督がミーティングを開いた。宮本武蔵の五輪書を読んだりしたけど、選手はみんな時間をもてあましていたのを思い出す。今思い出せば笑い話になるけど、当時はきつかった。ミーティングはやればいいって問題でもない。すごく難しい。

週刊朝日 2015年2月13日号

著者プロフィールを見る
東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

東尾修の記事一覧はこちら