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相馬家33代目当主「相馬家の競走馬づくりを内助の功で支えた麻生財務相の妹」

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※イメージ写真

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 相馬家33代目当主の相馬和胤(かずたね)氏は、北海道での牧場生活をこう振り返る。

*  *  *
 私は高校・大学とアメリカに留学しました。大学を卒業して帰国後は、相馬食品という叔父の会社に行くことにしました。ところが、東京・霞が関の会社に毎日車で行って、終われば銀座へくり出して飲むという生活をしていたら、1カ月後に驚いた。給料が1万9千円なのに、駐車場の請求書は2万円以上。駐車場代すら払えませんでした(笑)。

 これではどうにもならない。3カ月で会社を辞めて、東京の生活すべてを断ち切って北海道で牧場をやろうと考えました。留学中の夏休みに、バイトで牧場のカウボーイをやっていたからかな。それに、体を動かすことが好きなんですよ。

 北海道へ行きたいと話したら、親父は「馬の牧場なら金を出す。まず俺の馬を預かれ」と言いました。馬というのは競走馬のこと。馬が大好きな親父は何頭もの競走馬を持っていたから、前々から牧場をやりたかったんだろうね。

 日高地方に移住をして始めた牧場では、毎年10~15頭くらいの子馬が生まれました。運営資金のために、そのうち半分くらいを売る。調教師が「使いモノにならない」といった馬は二束三文で売ってしまう。でも、えてしてそういう馬が走ったりするから難しい。

 1988年の菊花賞や、翌年秋の天皇賞などを勝ったスーパークリーク。あの馬はうちの牧場で生産して、セリ市で売ってしまった。落札額は810万円だから安い。馬の相を見るから相馬というんだけど、1千年もたつと継いでいるのは名前だけです。

 馬の牧場を始めて数年後に、夢だった肉牛の牧場を開くために十勝地方へ移りました。馬の牧場は閉まっていた牧場を買い取りましたが、今度は一からつくらなければなりませんでした。買った山林にノコギリとスコップをかついで入り、木を切って抜根し、少しずつ牧草地にしていきました。家には電気も水道もないですし、風呂は薪(まき)でわかします。妻の雪子と結婚してしばらく後に、ようやく電球がともるくらいの電気が通りました。

 妻(麻生太郎財務相の妹)のことは、彼女の兄・次郎が私と小中学校の同級生で仲が良かったから小さいころから知っていました。つき合ったのは大学を卒業してからです。5年ほど東京と北海道の遠距離恋愛をして結婚しました。恵まれた麻生家から牧場へ嫁いで暮らしは一変しただろうけど、不便な生活を楽しんでいました。妻がいなかったら牧場は続けられなかった。こんな言葉は口に出したことないけどね。

 北海道へ移って20年が過ぎたころ、親父が大病をしたのを機に、家族で東京へ戻りました。馬の牧場は友人に譲り、牛の牧場は閉じています。

 2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。福島第一原発は、昔の相馬藩領内にあります。相馬地方は甚大な被害を受けましたが、相馬氏が治めていた約700年間にも何度か津波を経験しています。さすがに放射能は初めてでしたけど、地元のみなさんの強い思いと、国内外からのご支援があり、大震災の年にも相馬野馬追(のまおい)は行われました。いつの日か必ず復興すると確信しています。

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日 2015年1月30日号


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