相馬家33代当主「“憲政の神様”、尾崎行雄夫妻のなれ初めを教えてくれた母」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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相馬家33代当主「“憲政の神様”、尾崎行雄夫妻のなれ初めを教えてくれた母」

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週刊朝日#子孫

“憲政の神様”と呼ばれ長く衆議院議員を務めた尾崎行雄(ゆきお)。その孫である相馬家33代目当主・相馬和胤(かずたね)氏が、祖父母の出会いを明かす。

*  *  *
 母方の祖父は、第1回衆院選から連続25回当選し、“憲政の神様”と言われた尾崎行雄です。95歳で他界したのは、私が中学生のとき。先生に誰の葬式だと聞かれたから、おじいさんの尾崎行雄だって言ったんだけど信じてもらえなかった。「お前が、あんな立派な人の孫なわけがない。嘘つくな」ってぶん殴られたよ。

 祖母はテオドラといい、明治時代では珍しい日本とイギリスのハーフでした。福沢諭吉に頼まれて慶応義塾の教師をしたり、英タイムズ紙の記者をしていました。あるとき、テオドラ宛ての手紙が、尾崎行雄に間違って配達されました。開封してしまった祖父は、律義にも、誠に申しわけないとテオドラを訪ねたらしい。それがなれ初(そ)めだったと、おふくろは言っていました。

 なぜ手紙が誤配されたかというと、テオドラの名字も尾崎だったからです。明治の初めに、尾崎三良(さぶろう)という、後に「伊藤博文の右腕」と呼ばれた政治家がイギリスへ留学しました。そのときに現地で作った子どもがテオドラでした。「ミス・オザキ(テオドラ)」への手紙が、「ミスター・オザキ」に届いたわけです。

 おふくろの雪香(ゆきか)がまたすごい人だった。明治生まれですから、女性は当たり前のように着物を着ていた時代です。それなのにオートバイに乗ってたっていうんだから。オートバイを乗り回した初めての日本人女性じゃないかな。「カミナリ族のハシリだった」なんて言っていました。

 第2次大戦中、おふくろは私たち子どもをつれて、親父が兵隊として赴任していた満州(現・中国東北部)に渡りました。ある日、赤とんぼのようにたくさん飛んでいた日の丸の飛行機がまったくいなくなったことに気がつき、日本へ引き揚げることを決心したらしいです。

 1歳の弟と生まれたばかりの妹でおふくろは手いっぱいになるから、姉と4歳の私は自分の足で歩いていかなければいけない。だからでしょう。おふくろは、姉と私を雪の中、毎日走らせました。トレーニングだよね。でも満州の冬は本当に寒い。泣いて帰ってくると、もう1周してくるように言われるから、姉が家に入る前に涙を拭いてくれました。

 満州の記憶はこれくらいしかないから、よほどつらかったんだろうな。でも、おふくろの決断とスパルタ教育のおかげで、生きて帰ってくることができました。

 おふくろは96歳で亡くなりましたけど、最後までパワフルでした。会長をしていた「難民を助ける会」などの活動で、住んでいた軽井沢と東京を、亡くなる年まで一人で行ったり来たりしていましたよ。

 相馬家の祖父・孟胤(たけたね)は植物学者で、蘭(らん)のコレクターとして有名だったらしい。私が生まれる前には亡くなっていて、親父が蘭のコレクションを継いでいました。

 子どものときに住んでいた中野の敷地には、立派な温室が十何棟も並んでいました。蘭の世話をするための使用人たちもいたし、冬になると温室を集中暖房で暖める。家にはせいぜいストーブがあるくらいだから震えるくらい寒いのに、温室へ行くとぽっかぽか。人より蘭が大事にされていたのだから世話ないよね。

<次号に続く>

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日  2015年1月23日号


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