僕が結婚したのは、父が亡くなって9年後でした。披露宴は東京でしたが、結婚式を挙げたのは、福井県の織田(おた)町(現在は越前町織田)というところです。もともと織田氏はこの地から出たと言われています。織田町には剣(つるぎ)神社という大きな神社がありますが、織田氏は代々ここの神官をしていたらしい。やがて、越前の守護・斯波(しば)氏に見いだされ、家臣として尾張に送り込まれたそうです。剣神社は、信長が氏神としていた神社でもあります。
自分の家のルーツを知りたい気持ちもあって、妻と2人だけで行って、剣神社で結婚式を挙げました。
僕ら夫婦には、男の子が2人います。でも、名前には2人とも「信」の字を入れていません。信長よりも前の世代から、うちでは代々、男の子に信がついています。僕は400年以上の伝統を破ったことになる(笑)。
子どもの名前を決めるときに面白かったのは、家族からはほとんど反対されなかったのに、友人や知人のなかには「なんでそんなことするの」と反対する人が多かったこと。でも母に、「父が生きていたら反対したかな」ときいてみたら、「あの人は絶対にそんなことに反対しない」と言いましたね。父は外資系企業の重役だった人で、考え方は非常に合理的でしたから。
名字が織田で、名前に信がついていれば、信長の血筋だということは察しがついてしまうでしょう。僕は子どものころから、それがたまらなく嫌でした。
初対面の人が僕の出自を知ると、「すごいですね」とよく言います。ぜんぜんすごくないですよ。すごいのは信長で、僕が天下統一のお手伝いをしたわけじゃない(笑)。自分が、本質ではなく、血筋や出身校などの属性で判断されてしまうのは悲しい。そんなこともあって、自分の子どもは個人として生きやすくしてあげたかったのです。
(構成 本誌・横山 健)
※週刊朝日 2014年11月21日号