編集に24年以上、約1万2千ページにもわたってその動静が記録された「昭和天皇実録」。そこには昭和天皇の幼き姿も当然記録されている。磯田道史・静岡文化芸術大学教授(43)が解説する。

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 私の印象に強く残ったのは、秩父宮のほうが子供の頃から、昭和天皇よりも陸軍に関心が強かったのだと感じた部分です。

 5歳のときに、皇孫養育掛長から将来はどういう学校に進学したいかとたずねられた裕仁(ひろひと)親王は「高等師範学校」と答えている。つまり、先生になりたかったわけです。

 このあと、4歳の雍仁(やすひと・後の秩父宮)親王は「高等師範学校に入り、その後、陸軍の学校に行く」と答えた。秩父宮は幼い頃から陸軍への思い入れが強かったようですね。

 裕仁親王は、子供の頃から動物や昆虫、海の生物への関心が深かった。図鑑の間違いを見つけて、新発見もいくつかしています。後年の生物学者につながる要素が、ふんだんに盛り込まれているのが、学習院初等科4年生の10歳だった裕仁親王が自分で「裕仁新イソップ」物語を書いた場面です。

 第一の題は「海魚の不平」でした。ホウボウやタイが、他の魚の才をうらやみ、自分の境遇に不平を言うんですよ。すると、メクラウナギが出てきてこう話す。「自分より不遇なものがいる限りは、恵まれたものが不平を言ってはいけないのだ」。これが話のオチです。

 昭和天皇が受けてきた帝王学が表れています。その物語を弟に聞かせているんですね。お気持ちの優しい、不平をがまんして耐える昭和天皇の人格形成の姿が伝わります。

週刊朝日  2014年9月26日号