吉川晃司「自分にとって歌とは見えを切る人生そのもの」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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吉川晃司「自分にとって歌とは見えを切る人生そのもの」

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週刊朝日

 今年でデビュー30周年を迎えるミュージシャンの吉川晃司(49)は、ボーカリストとして歌にかける思いをこういう。

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 歌を志したきっかけは水球選手として挫折を経験したことです。

 高校1年生のとき、世界ジュニア選手権大会の日本代表に選ばれてイタリア・エジプト遠征に参加したのですが、海外の選手たちに圧倒されて、「自分はこれ以上はやっていけないな」と思ってしまった。もうひとつ、あまり詳しくは言えないのですが、スポーツを純粋なものだと信じて疑わなかった若い自分が、その世界の裏側に気づいてしまったということもありました。いま思えば、それは逃げだったのかもしれませんが……。

 水球と並行してバンドに入って歌うこと自体は中学生のころからやっていましたが、最初はまだ遊びでした。でも、高校に入ってからは同世代の本格的なバンドに誘われて、地元・広島のライブハウスで歌うようになりました。

 当時、よくコピーしていたのは、AOR的でありながらプログレッシブなサウンドでミュージシャンに高い人気を誇った、ジノ・ヴァネリです。そのころ、広島の若いアマチュアミュージシャンは、とてもレベルが高かった。テクニカルな演奏に合わせて歌うことで、サウンド面での感性が磨かれましたね。

 ボーカリストとしてもっとも直接、影響を受けたのは、シンガー・ソングライターの原田真二さんです。日本語で洋楽のようなグルーブ感を出す歌い方を聴いて、衝撃を受けました。同じような意味で佐野元春さんにも影響を受けました。

 原田さんや佐野さんをまねしながら、音節ごとに撥音便や促音便を付けてみたり、語尾の長短を工夫したりと、歌の世界で新しい扉を開こうと試行錯誤を重ねましたね。いまの自分の歌唱法は、10代のころに基礎が作られたものです。

 それをわかりやすく言うと、「だからぼくは」という歌詞に対して、「だっかぁらぁぼっくぅはぁ」と歌うということ。日本語が聞き取りづらくなる欠点はありますが、自分はグルーブ感を重視したいタイプ。日本語をロックのリズムにどう乗せて歌うのかという問題は、自分も含めて、多くのボーカリストがいまもなお苦心していることだと思います。

 誰よりも存在感に影響を受けて、感化されたのは沢田研二さんです。子供のころから歌番組を見て、「この人は華があって別格だ」と思っていました。歌手になりたくて渡辺プロ宛てに、「広島にすごいやつがいる。見に来ないと後悔する」と手紙を書いたのは、沢田さんが所属していたからです。その後、関係者が本当に広島まで来てくださって、17歳のときに学校を辞めて上京することになりました。

 水球を途中で辞めて、先のことがわからなくなってしまった自分に、歌は新しい目標を与えてくれたんです。

 デビューは18歳のとき。シングル「モニカ」で大ヒットに恵まれました。でも、本当は「歌謡ロック」の世界観を実現させたかった。もともと好きだったイギリスのロックミュージシャンのような衣装を着て、もっと洋楽に近いサウンドに乗せて歌いたかったんです。

 いまは亡き社長の渡辺晋さんからは、「おまえみたいなガキが偉そうに言ったって、まだまだ知恵もテクニックもないんだから突っ張るな」というようなことを、よく言われました。

 自分も負けじと、「社長こそ頭に苔が生えてきちゃったら、まともなことを考えられなくなっちゃうんじゃないですか」なんて言い返していました。

 文句を言うほど社長は喜んでくれて、自分を可愛がってくれましたが、いまから思えばとんでもないやつですよね。

 1986年と87年の12月24日に日本テレビ系で放送された「メリークリスマスショー」の企画を思いついて、桑田佳祐さんに持ちかけた理由は、「ロックミュージシャンだってテレビに出てもいいんじゃないか」と思ったからです。あのころはロックの世界と歌謡界とがテレビに出るか出ないかで分かれているイメージがありました。でも、内情を知ってみれば、二つの世界は近かった。

 だから、「日本の音楽界とテレビをもっとおもしろくしましょうよ。それができないのは、桑田さんみたいにビッグなアーティストが何もしないからじゃないですか?」と突っかかったんです。そうしたら、ケンカを売りにきたと思われたのか、めちゃくちゃ怒られました。でも、最後は自分の企画に乗ってきてくれたんです。

 実際に企画が動き始めてからは、ほとんど桑田さんがいろいろな方々に声をかけてくださった。結局、自分が声をかけられたのは、BOØWYやチェッカーズ、アン・ルイスさんなどの仲が良かった方々だけでした(笑)。

 最近では自分も丸くなりましたが、若いころは尖っていましたね。若さゆえの愚かさでしょうか、生きている証しを尖ることでしか確認できなかったんです。

ただ、いまでも金や権力で人を黙らせようとするものに対しては、自分は絶対に「はい」とは言えません。そういった意味ではむかしから何も変わっていない。特に東日本大震災以降は、「変わってしまったら負けだ」と思う気持ちが強くなりました。

 宮城県の石巻市と女川町に行った際、被災地の惨状を見て、無力感を味わった経験が大きかったですね。少し経ってから、「何かできることはないか」と思うようになり、COMPLEXを再結成しました。とにかく話題を集めて、一円でも多く被災地に義援金を届けたかったんです。

 そして、原発について勉強をしたことで、これまで認識していた安全神話は間違っていたんだと恥ずかしく思うようになりました。2013年4月に発表したオリジナルアルバム「SAMURAI ROCK」に収録されている「絶世の美女」は、反原発をテーマにした楽曲です。

 ミュージシャンであれ芸能人であれ、政治的な発言はしないほうがいいという風潮には疑問を感じています。ひとりのこの国の民として、己が生きのびるために必要な権利を主張しないのは、おかしい。

 自分にとって歌とは見えを切ってなんぼの人生そのものです。だったら見えを切る以上、都合の悪いことや臭いものに蓋をしていたら、かっこ悪いじゃないですか。そんなシンプルな気持ちでこれからも歌い続けることが、ボーカリストとしての自分の役割だと思っています。

(本誌・福田雄一、古田真梨子)

週刊朝日  2014年9月19日号


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