毎年、7月下旬に開かれる宮崎市最大の祭り「えれこっちゃみやざき」。今年、ド派手な蛍光色のジョギングウエアに身を包み、メーンストリートを徘徊(はいかい)する一人の男がいた。そう、あの東国原英夫氏(56)だ。

 目撃者の男性によると、東国原氏は笑顔をふりまきながら、観光客や踊りの参加者に近づき、握手や記念撮影に応じていたという。

「昨年は姿を見なかったので、今年いらっしゃって少し驚きました。とにかく熱心に握手をして回っている姿が印象的でした」(前出の男性)

 昨年12月に衆院議員を突然辞めて以降、東京での講演活動やテレビ出演に力を入れてきた東国原氏。だが、昨秋、宮崎市内に2軒目となる豪華マンションを購入、「終(つい)のすみかにしたい」と語った。

 この夏は宮崎県内の祭りやショッピングセンターに足を運んでは県民と触れ合っている。場所も宮崎市、都城市、延岡市など、ほぼ県内全域だ。

 ベテランの自民党宮崎県議が苦笑いしながら言う。

「東国原さんは『各地でジョギングしているだけ』と言うのですが、わざわざ人が多いところを選んで走っています(笑)。とにかく県民に自分の存在をアピールしたいんでしょう。手羽先やワインなど、走っている途中にやたら買い物をして、店の売り上げに貢献しているのも特徴的。実質、知事選に向けた選挙活動ですよ」

 ある元首長の初盆にかけつけ、支援者と握手して回ったこともあったという。最近は県を南北に走る「東九州自動車道」の工事区間の視察に力を入れているが、県議会には「政治家を辞めたのに視察は不自然。知事選に向けてのマニフェストを作っているのでは」との見方が広まっている。

 それにしても驚かされるのは、東国原氏の変わり身の早さだ。2007年に「宮崎をどげんかせんといかん」とタレントから宮崎県知事に就任。しかし、口蹄疫(こうていえき)からの復興という重要な課題を前に、「国のシステムを変えることが宮崎のためになる」と1期で知事を退いた。その2カ月後の11年3月には東京都知事選に出馬し、落選。

 翌12年の衆院選では「日本維新の会」の比例候補として近畿ブロックで初当選を果たしたが、その職も1年で投げ出した。

 普通の感覚なら政治家復帰は少し自重するが、東国原氏は違うらしい。「衆院議員をやったことで、再び首長への意欲がわいた」と明かすのは同氏の友人だ。

「国会議員になったものの野党だったので、予算も人事も触れることができなかった。ただの一兵卒で、本当につまらなかったようです。『絶大な決定権をもつ首長をやりたい』『再び腕をふるいたい』と昨秋からよく口にするようになりました。来年の大阪府知事選にも関係者からお声がかかっているようですが、本命は宮崎。直前まで独自に情勢調査して、優勢ならば間違いなく出馬するでしょう」

 8月3日、宮崎県で最大の発行部数を誇る「宮崎日日新聞」の紙面が大きな話題を呼んだ。東国原氏の母校、都城泉ケ丘高校の同窓会の告知広告を掲載。その中心部分に大きく、「前衆議院議員 東国原英夫」との名刺広告が出ていたからだ。「広告を出すイコール選挙に出る」。そんな話が県内を駆け巡った。

 8月27日には自身のツイッターで「口蹄疫終息宣言から丸4年」とし、知事を辞める前に感染ルートの検証や復興予算の確保など、どれだけしっかり対応したかを延々とつづった。

 東国原氏に知事選出馬について尋ねると、「出馬は検討していません。可能性は0%」と回答。また宮崎にいる理由も「単なる休暇です。宮崎の母親の介護もあるので」と煙に巻いた。

週刊朝日 2014年9月12日号より抜粋