織田家第16代当主「本能寺の変」の後、織田家が書いた始末書 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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織田家第16代当主「本能寺の変」の後、織田家が書いた始末書

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 天下統一を目前にしながら、本能寺で無念の最期を迎えた織田信長。その弟有楽斎(長益)から16代当主織田裕美子氏は、本能寺の変にまつわる織田家のおきてと秘宝について語った。

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 信長は、ある時期から平氏を名乗りました。織田家がアゲハチョウの紋を使ったのは、平家の紋だからでしょう。

 織田の七つ紋といって、アゲハチョウや桐のほかにも天皇家から授けられた菊の紋などもあります。時と場所と状況によって、それぞれ使い分けがあったと聞いてますが、残念ながらほとんど伝わっていません。ただ、織田家の紋としてよく知られているのは織田木瓜(もっこう)でしょう。

 織田木瓜というのは、キュウリの断面とも言われています。そのせいか、昔は織田家ではキュウリを食べることができなかったという話です。今はふつうに食べてますけどね(笑)。

 この手のタブーなら他にもあります。わが家では、ひな祭りのおひなさまがなかった。3月3日に信長の父・信秀が亡くなっているからだと聞きました。でも私が子どものときに、かわいそうだからと、母が三越で買ってくれました。たしか、三人官女までのセットでした。そうしたら母のハンドバッグが置き引きされたそうです。おきてを破ったから、これが厄払いになったと母が話していました。

 明智家の紋が桔梗(ききょう)ということで、桔梗が禁花、というおきてもあります。団扇(うちわ)や浴衣とか、とくに夏は桔梗模様のものがいろいろありますけど、お店ですすめられても、うちは使えないからと、よく母から言われていました。もちろん植えてもいけない。

 大名家にはよくあることでしょうが、早世した歴代当主にはかわいそうな話も伝わっています。


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