三笠宮崇仁(たかひと)さま(98)、同妃百合子さま(91)の次男、桂宮宜仁(かつらのみやよしひと)さまが6月8日、亡くなられた。享年66。39歳で異例の独身宮家を創立した直後に倒れ、ずっと車椅子で公務に携わった。岩井克己・元朝日新聞編集委員が宮さまの思い出を振り返る

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 異変が起きたのは1988(昭和63)年5月26日。同年1月に桂宮家を創立し一人暮らしを始めてわずか5カ月。高松宮家宮務官に桂宮家宮務官からうろたえた声で電話がかかった。

「殿下がずっと部屋から出て来られない。ノックにも返事がない」
「何をしているんだ。ドアを蹴破ってでも入れ!」

 宜仁さまはベッドの脇に倒れていた。前日転倒したためか、持病の心筋症の発作か、強く頭を打っていた。救急車で運ばれ硬膜下血腫切除の緊急手術で奇跡的に一命をとりとめた。意識が戻ったのは3カ月後だ。体の自由がほとんどきかなくなった。26年間に及ぶ闘病生活の始まりだった。

 若い頃、学業は優秀だったという。ビートルズが好きでバンドを結成、国産スポーツカーを駆りF1レースなどにもめっぽう詳しい一面もあった。大学卒業後、NHK嘱託職員として10年余りサラリーマン生活を経験したが、85年辞職。持病の心筋症が見つかったのが理由だった。

 
「皇族ゆえに責任ある仕事をさせてもらえぬ失望もあったようだ」と言う関係者もいる。学習院中等科在学中に友人に「税金で生活しているくせに」と言われたショックを引きずり、ずっと皇族の立場、自身の生き方について悩んだ。知人はこう言う。

「兄の寛仁さまも皇籍離脱を公言し騒ぎとなったことがあったが、真面目で内気な宜仁さまは、ずっと抱え続け、思い悩んだようだ」
「浴びるように酒に浸ってもおられた」

 闘病中の昭和天皇に宮家創設を願い出たのは87年。結婚してもいないのに独立宮家を構えるのは異例のことだった。「40歳を機に」と説明されたが、今後も結婚はしないと意志を固めておられたのかもしれない。

心臓病を抱えて結婚すべきではない」
「私のようなつらい思いをする人間をさらにつくる気になれない」

 そう語ったこともある。あるいは親しかった女性との結婚に障害があったのか。周囲も様々に推測したが真相はよくわからない。

 82年に寛仁親王の「皇籍離脱」宣言には激怒した昭和天皇だったが、肺がんで病床にあった高松宮の口添えもあり了承した。宮号は「三室宮」という候補もあったが、「桂宮」と決まった。ご本人も三笠宮ご夫婦も深い感謝の気持ちを公にした。巨額の経費がかかる宮邸新築も遠慮し、最後まで東京都千代田区三番町の手狭な宮内庁分室に住み続けた。

週刊朝日  2014年6月27日号より抜粋