子孫が語る秘話と秘宝 南部の帝王学「どんなときでも臆せず、堂々としていろ」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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子孫が語る秘話と秘宝 南部の帝王学「どんなときでも臆せず、堂々としていろ」

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 南部家第46代当主の南部利文氏は父から学んだ南部家の帝王学についてこう語る。

*  *  *
 前田利家のおかげで、天下人になった秀吉に領地を認められた南部家ですが、僕で46代になります。

 父の利久は長男でしたが、家督を継ぐ前の「若殿」のときに亡くなっています。同じ年の暮れに祖父・利英も亡くなりました。僕はまだ10歳だったから、祖父は父の弟・利昭に、当主として南部家を守っていきなさいと言い残しました。

 利昭は三男で帝王学を学んでこなかったから、とても苦労した、と言っていました。父たちが子どものころは、祖父母と父が同じテーブルで食事をして、ほかの子どもたちはちがう部屋で食べたりしていたみたいです。これも一種の帝王学だったのでしょう。

 僕も父から受けた帝王学を一つだけ覚えています。父と家の近くの東郷神社までお参りに行ったときのこと。境内は工事中でフェンスが張られていましたが、ちょうど僕が入れそうなくらいのすき間があった。それを見つけた父が、賽銭(さいせん)を入れてこいと言うんですよ。僕が躊躇(ちゅうちょ)していると、「何か文句を言われたら、『俺は南部家の跡取りなんだ。参拝しているんだから邪魔をするな』と言えばいい」って。恐る恐る賽銭を投げ入れて急いで戻ってきました。

 大人になってからわかったことなんですけど、当時の東郷神社の宮司さんは、父の同級生だった。だからあんなことを言ったのかと思いましたけれど、将来の当主としての心構えを教えていたのかもしれませんね。「どんなときでも臆せず、堂々としていろ」と。

 旧南部領の人たちは、今でも大事にしてくださる人が多いです。旧士族だけじゃない。農家の人にも「うちは江戸時代から先祖代々ここで畑やってます。殿様のおかげです。ありがとうございます」なんて言われることがあります。

 皆さん、「殿様」って呼んでくださるんですよ。盛岡の知り合いで、僕のことを「南部さん」って呼ぶ人はあまりいないですね。

 幼なじみの友人が、お祭りが見たいっていうから盛岡へ連れていったことがあります。僕は子どものときのあだ名が「ブン」だった。利文の「文」。いつも通り、友人が「ブン」って呼んだら、周りの人がびっくりしていた。「やっぱり俺も『殿』って呼ばないとだめなのかなぁ」って悩んでましたよ(笑)。

 先代・利昭のかわりに、神社のお祭りなどの行事で盛岡に行くようになったのは26、27歳のころ。当主の代理だから、酒宴では、とにかくみんなにお酌される。

 実は、それまでお酒は一滴も飲んだことがなかった。それが、いきなり一升くらい飲まされた。お酒飲めない、って言っているのに……。ホテルへ帰ってベッドに倒れ込んだら、目の前がぐるぐる回りました。

 本当にひどいこともあります。「今日は寒いから熱燗ですよねぇ」とか言って、朝から飲む。昼はそば屋に誘われて、そばが出てくるまでまた飲む。お祭りが終わると、直会(なおらい)だからと夜中の1時くらいまで酒宴が続く。一日中飲みっぱなし。体質で顔に出ないらしくて、いつまでもすすめられる。

 でも、どれだけ飲んでも、その場では酔わないようにしています。酒に強いのは南部の血だと言われますよ。

週刊朝日  2014年6月13日号


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