エッセイスト玉村豊男 吐血、入院を経て、金賞ワインをつくるまで 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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エッセイスト玉村豊男 吐血、入院を経て、金賞ワインをつくるまで

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玉村豊男さん(右)抄恵子さん(左)夫妻(撮影/写真部・植田真紗美)

玉村豊男さん(右)抄恵子さん(左)夫妻(撮影/写真部・植田真紗美)

 ワイナリー開設から3年目に洞爺湖サミットで提供されるワインを作り、5年目のものは国内コンクールの金賞受賞という快挙を達成した夫婦がいる。エッセイストの夫・豊村豊男さんと園芸家の妻・抄恵子さんだ。ワイナリーを始めた当初の苦労を聞いた。

 豊男さんは仕事盛りの30代後半。多いときは月に30本もの締め切りを抱え、徹夜で原稿を仕上げることもしばしば。そんな生活を続けるうちに、体が悲鳴を上げた。徹夜明けの昼、2.5リットルもの血を吐いて、即入院。原因がわからないまま出血を繰り返して5リットル輸血した。それがもとで肝炎に感染してしまう。

夫「ちょうど42の厄年で、チェルノブイリの事故のあった年。体は動かないし、仕事も減っちゃったし、貯金もなくなって。初めて年を取ったあとのことを考えた。どうやって暮らそうかなぁと思ってたら、この人が『もうちょっと田舎に引っ越して、野菜でもつくりながらゆっくり暮らそうか』と言いだしたんです」

妻「私はその少し前に、たまたま知人に『とにかく素敵だから』と誘われて村田ユリさんという方の農園に遊びに行ったんです。そしたらお花はきれいだし、タイムやルッコラが生えてるし……ルッコラなんて東京では紀ノ国屋にしか売ってなかったのに。すっかり魅了されて、植物の手入れや畑仕事を手伝ううちに、食べたい野菜を自分で作る生活もいいなぁと」

夫「僕も時々、彼女と一緒に農園を手伝いに行くようになって。体が戻らなくて、絵を描き始めたときだったから、こうやって花を育てたり食べ物を作ったりしながら、絵を描いて暮らすのもいいなと。いつも僕は彼女についていくだけなんですよ。場所が変わったら、また別の話も書けるし(笑)」

 毎週末ドライブをしながらの土地探し。当時、農地を買う場合は1500坪以上が必要で、そんな土地は不動産屋に行っても扱っていない。いい土地を見つけては地主と交渉し、2年かかって理想的な場所を手に入れた。そして二人は婚姻届も出した。

夫「さすがにここは田舎だから、二人の名前が違ったら怪しまれるだろうと」

妻「みんな『いまさら?』と、冷たい反応でしたけど(笑)」

夫「しかし、丘の上にあるこのパーッと開けた土地を見たとき、二人ともいっぺんで気に入ったよね」

妻「みんな、ここの景色は褒めてくれますね」

夫「3500坪もあるから、最初の1、2年は、草生え放題、石はごろごろしてる土地の開墾に明け暮れて大変だった。泥まみれで働いて、くたびれてワイン飲んで寝ちゃうから、原稿を書く時間もない。俺の才能はここで終わりなのかと、不安になる日もありました」

妻「私はうれしくてしょうがなかった(笑)。最高に気持ちいい生活でした」

夫「ハーブと野菜を植えたけど、まだ土地が余ってるからワイン用のブドウを植えてみて。みんな標高が高いからダメだろうと言いましたけど、どうせ道楽だからできなくてもいいやと思ってた。ところが、できたんですよ。とれたブドウは醸造を委託して自家製ワインを造りました。最初はマズかったけど、5、6回醸造する間に、どんどんまともな味になってきて」

 そのころ豊男さんと付き合いのある大手酒造メーカーがワイナリーを造る計画が浮上した。間に入り長野県東部町(現東御市)に誘致しようとするが、計画は頓挫(とんざ)。ワインへの情熱だけが残り、今度はなんと豊男さん個人が営むワイナリー開設に向けて奔走し始めたが……。

夫「酒造免許の取得とか、お金の問題とか、問題は山積だったけど、一番強固なのは彼女の反対だった」

妻「玉さんはいろんなストレスが重なって、また体調を崩して入院したりしてた。人を抱えて倒れたら、もっと大変です。もうこの年でそんなことはやめて、と」

夫「僕は60歳前で、もう一回ぐらい血湧き肉踊る、先の見えない仕事をしたかった。でも1、2年は、毎日ケンカしてたね。『東京へ帰ります』『別れます』とか、『出て行きなさい』とかさ」

妻「そうね。あれだけ反対したのは初めてです」

夫「僕が初めてこの人の言うことを聞かないで、自分で何かをやろうとした、最初のことなんです」

週刊朝日  2014年5月9・16日号より抜粋


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