日本人だからこそ、日本語の「過剰なへりくだり」には気づかないのかもしれない。東京大学大学院教授のロバート・キャンベル氏は新書『カネを積まれても使いたくない日本語』の著者である内館牧子氏との「寄稿対談」の中で、“敬語インフレ”が日本語の持つせっかくの力をそいでいると嘆く。

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 日本語というのは、敬語ももちろんそうだが、ちょっとした婉曲(えんきょく)表現も人と人の間を整えてくれるし、会話をスムーズに運ぶ。そうした優秀な機能をたくさん内蔵している。

 英語の表現とは根本的に異なる。「座らせてもらうぞ」という簡単な言い回しでも、なかなか英語に翻訳しづらい。「座るぞ」も「座るね」も、“I'm going to sit down.”になる。末尾に“OK?”を入れるか入れないかくらいの選択の幅しかない。やはり日本語というのは“I”(おれ、わたし)よりもはるかに「私たちの、この関係性」を重んじてきた世界の産物であることが実感できる。

 英語でうまくへりくだるのにはコツが要る。自虐ギャグはもちろんたくさんある。たとえば先日、英国のウィリアム王子とキャサリン妃が初めてロイヤルベビーを抱きしめ、病院玄関で待つカメラの前に現れた。赤ちゃんの感想を聞かれて、王子が“He's got her looks, thankfully.”(幸いルックスは彼女似だ)と言うと、妃は笑顔で“No, no, I'm not sure about that.”(いえいえ、そんなこときっとないと思うわ)とすかさず謙遜(けんそん)。その先の王子の一句がさえている。“He's got way more hair than me, thank God!”(ぼくより髪の毛がふさふさなんだ。神様ありがとう)。ナイスへりくだり。画面に映るベビーのお頭は、もちろん、ツルツルである。

 ウィッティなやりとりを、もし王子が「今後、心をこめてこの子を育てさせていただきます」と締めくくったならどうか。かなり殺風景。というより、「させていただきます」などは英語にはないので、想像がつかない。実際、王子が車に乗り込む直前に投げた言葉は、“Hopefully, the hospital and you guys can all go back to normal now, and we can go and look after him.”(これで病院も諸君も普段通りにもどって、私たちも彼の面倒を見られるようになればいいよね)とさりげなく、真っすぐで、格好いい。

 へりくだると言えば、メールと手紙に使われるあの小さな(笑)(苦笑)(泣)といったような符丁。絵文字のようにポンと入れやすく、使い始めると癖になってやめられない。実はこれ、英語にもある。漢字を使う代わりにアルファベットの頭文字“lol”(laugh out loud=笑)や“omg”(oh my god=苦笑)をさりげなく文章の最後に散らしてみせる。本心を書くと嫌われるので書かない、でも書きたい、という人は日本にもアメリカにも大勢いるということかもしれない。

 要は「へりくだり」をやめるタイミングを知ることと、自分が過剰に卑下していないかを感知する能力(と若干の勇気)を身にたくわえることが大切なのだ。政治家の二言目に出てくる「国民の皆様」も、敬語インフレの最たるもので、日本語が持つせっかくの力をそいでいる。内館さんも書いているように、残念ながら、そんな日本語があふれてしまっている。

週刊朝日 2013年8月30日号