三島由紀夫 かつては高級官僚だった 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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三島由紀夫 かつては高級官僚だった

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 1947(昭和22)年に行われた文官高等(高文)試験の行政科の合格者名簿に、平岡公威(きみたけ)という名前がある。誰あろう、戦後文学史を彩った文豪、三島由紀夫の本名である。

 41年の太平洋戦争勃発から2年後、高級官僚の登竜門である高文試験は中止された。終戦後、米国が主導する連合国軍総司令部(GHQ)による占領下、日本国憲法が施行された47年に復活。この年は4月と12月に慌ただしく実施された。その12月の合格者189人の中に、東大法学部出身の三島が含まれていたのだ。『日本官僚制総合事典』(秦郁彦編、東京大学出版会)などによると、合格後は大蔵省に入省し銀行局に配属になったものの、わずか1年ほどで退職し、文筆活動に専念した。実は、三島の父・平岡梓も、東大法学部を経て1919(大正8)年に高文試験に合格し、農商務省の高級官僚として敏腕をふるっている。

 47年の高文試験では、2回計約360人が合格した。やはり戦前と同様に東大法学部出身者が圧倒的多数を占めている。三島以外の合格者には、内務官僚から参議院議員になり、後に法務大臣になった松浦功(東大法卒)、同じく内務省の警察系官僚から参議院議員になり、法務大臣になった下稲葉耕吉(同)、大蔵官僚から参議院議員となり、厚生大臣に就任した下条進一郎(同)らがいた。

週刊朝日 2013年6月17日号


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