高校の「私高公低」は60年代の入試制度のせい 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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高校の「私高公低」は60年代の入試制度のせい

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「私高公低」と言われるようになって久しい難関大学の合格者数。しかし過去には、公立校の存在感が大きい時代もあった。なぜ傾向が変わったのか、時代背景を振り返ってみた。

 1960年代ごろから、一部の公立ではある“変化”が起きていた。過度な受験競争を抑える目的で、自治体が「学校群制」や「総合選抜制」と呼ばれる入試制度を導入したのだ。どちらも大枠は同じ。学区ごとに定められた高校群を受験し、合格者は群内の各校に機械的に振り分けられた。

 制度を実施したのは、東京都や広島県など14都府県程度。行きたい学校に行けないため、公立人気はガタ落ちした。進学率も下がった。全国の高校事情に詳しい駿台予備学校情報センターの石原賢一センター長はこう話す。

「京都府で新制高等学校教育の『小学区制・総合制・男女共学』の高校3原則を堅持し、総合選抜制を維持した蜷川虎三(にながわとらぞう)・元京都府知事は、受験競争を避ける意味で『15の春は泣かせない』と言いましたが、結果的には私立中高一貴校の人気が出て、より早い『12の春』が厳しくなる事態となったのです。80年代には全国で制度の見直しが始まりますが、すでに都市圏を中心に私立校のブランドが確立された後でした」

 こうした流れで「私高公低」の構造がつくられた。

週刊朝日 2013年4月12日号


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