ヒゲの殿下と親しまれた寛仁さまが、66歳で生涯の幕を閉じた。週刊朝日元編集長の川村二郎氏は「あなたは育ちのいいガキ大将だった」と殿下を評する。1986年5月、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日したとき、寛仁殿下に原稿を依頼した当時のエピソードを明かす。

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 寛仁殿下に原稿をお願いにいくと、二つ返事で引き受けて下さった。原稿の分量は2ページ分、400字詰め原稿用紙約7枚半である。

 それから1週間程した日曜の夜のこと。僕はいつものように編集部員の原稿を見るために、会社にいっていた。拙宅の電話が鳴ってカミさんが出ると、男性の品のいい声で、

「三笠宮だが、御主人はいますか」

 と言った。てっきり侍従さんだと思ったカミさんが「主人は会社にいっておりますが」と応えると、

「ウソをつけ。会社に電話をしたが、いなかったぞ。フフフ、女のところにいっているんじゃないのかね」

 と言われ、カミさんは、これは宮さまご本人に違いないと思ったと、後で話していた。

 午前1時半すぎに僕が帰ると、丁度、何度目かの電話でカミさんが話しているところだった。

 電話に出ると、

「おお、やっと女のところからもどったか」

 と言われ、7枚半の注文だが28枚になった、どうする? というお話である。

 どうするもこうするもない。4分の1に削るのは無理だ。3回の連載にすることにして、翌日の夜8時、お住まいにうかがった。

※週刊朝日 2012年6月22日号

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