今、世界経済が大きく変化し、不安定な時期を迎えている。そんな時だから、これまでの長い歴史のなかで培ってきた組織力や資金力をもつ日本の「財閥」が注目されている。その日本「3大財閥」を分析すると、それぞれのカラーが見えてきた。

『日本の15大財閥』(平凡社新書)の著者・菊地浩之氏が解説する。

「戦前、三菱は造船や鉱業が中心、住友は素材産業が中心だった。どちらも製造業で、技術と社員教育を重視していた。三菱はスタンドプレーよりも、地道に着実に組織人に徹することを求めた。住友も三菱と同様だが、規模が小さく、少数精鋭にならざるをえなかった。『八人野球、三人麻雀』と言って、少ない人数で大手と伍していく精神論があったようだ」

 三菱では、岩崎弥太郎の息子・久弥が1894年に3代目社長となり、権限を銀行部、造船部、営業部などに委譲した。久弥自身、大きな方向性だけを示すと、各論は部下に任せる手法を採り、これが「組織の三菱」の基盤となった。

 住友では、1904年に3代目総理事(当主に代わって事業を統括する経営トップ)に就いた鈴木馬左也(まさや)が内務省から移ってきた。採用面接に際しては「一人の天下の人材を取り逃がすための損失は永久」と繰り返し語り、本店一括の学卒採用だけではなく、能力のある官僚や司法関係者などを外部から次々と招き、要職に就けた。戦後も、

「住友が中途採用の制度を導入したのは割と早かったと思います。わたしが住友信託に入ったのも、そのためです」(経済評論家の山崎元氏)

 生え抜きは大切に教育し、それに加えて中途採用組も積極的に登用する。能力本位で分け隔てなく処遇する平等主義が、「結束の住友」の風土を生んだのだろう。

 これに対して、

「三井は商業中心で、教育よりも、いい人材を抜擢することを重視した」(前出の菊地氏)

 最近の仕事ぶりにも受け継がれているようだ。

「三井は陽気で開放的。個人の裁量が大きく、個人を中心に仕事を組み立てる社風があります」

 そう語る山崎氏が商社の例を挙げる。取引先が電話をかけてきたとき、担当者不在でも話が通じるのが「組織」の三菱商事で、通じないのが「人」の三井物産なのだとか。

※週刊朝日 2012年6月22日号