チェルノブイリで原発事故が起きた1986年、現地から約700キロ離れたモスクワの学生だった福島大学経済経営学類クズネツォーワ・マリーナ准教授が、その経験とチェルノブイリ事故から福島の今後について語った。

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 かつて、旧ソ連で原発関係の仕事をしていた親戚がいました。彼に最初に生まれた子供は問題ありませんでしたが、何年も原発関係の仕事をした後、2番目に生まれた子は、骨の成長がおかしくなってしまいました。数年に一度、手術で骨をまっすぐにしなければなりません。原因は、やはり父親が放射能を浴びたためとみられています。これ以外に、遺伝学的な変化が出てくるとも考えられています。

 人によりますが、日本人は放射能に対する危機感が薄いようにも感じますね。もちろん、みんなががんにかかるとか、死んでしまうことはないでしょう。ただあなたは大丈夫かもしれないけれど、子供は、孫は大丈夫ですかと聞きたい。

 震災が起きた後すぐは、大学の職員会議などで「放射能は危ない。福島からみんな出たほうがいい」と発言しました。でも今は言うのをやめました。私一人で騒いでも、どうにもならないからです。住民自身がここで住み続けると決めた以上は、私が反対しても意味がありません。これからは、チェルノブイリについて知っていることや、今のロシアで行われていることを伝えていくのが私の仕事です。

 たとえば、チェルノブイリで被害を受けたベラルーシやウクライナといった国々は、今、半減期の長い放射性物質のストロンチウムとの「戦い」を続けています。どうしても除染しきれない土地には、どういう野菜や果物を栽培すればいいのか。また学校で子供を被爆させないためにはどうすべきか。日本にも将来課せられるこのような問題に対しては、チェルノブイリの教訓を利用するべきでしょう。

 こうなった以上、原発事故の前と同じように福島に暮らし続けることはできません。ここに住むのであれば、自分で身を守ったり、知識を深めたり、食べるものを真面目に選んだりする、とてもストレスがかかる覚悟をしなくてはならないのです。

※週刊朝日 2012年3月2日号