「穀雨花」ってどんな花?二十四節気「穀雨」 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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「穀雨花」ってどんな花?二十四節気「穀雨」

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「百花の王」ボタンの花盛りは、思わず息をのむような美しさです

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奈良大和路の長谷寺は名高いボタンの名所

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ヤブコウジ。意外にもこれが元祖「牡丹」。夏、ミカンに似た小花をつけます

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ボタン成立の歴史の陰には玄宗と楊貴妃のドラマが

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春の進行が早い今年は、ボタンが早くも満開になりつつあります!

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4月20日より、二十四節気は春の最後の節気「穀雨(こくう)」となりました。次節は「立夏」。暦の上では夏となり、この半月で今年の春は終わりを迎えます。全ての植物を潤し育むとされる「百穀春雨」に洗われながら、行く春を惜しむように春の花々は楽奏のクライマックスのように次々と咲き競い、目を奪われるばかりです。そんな中、穀雨の名を冠する「穀雨花」なる花があります。唐代以降の中国、そして日本でも「百花の王」として称えられてきたボタン(牡丹)の別名です。


玄宗と楊貴妃。超有名な皇帝と傾城の美女が、頽廃の名花「木芍薬」を生み出した

「穀雨」の本朝七十二候は、初候「葭始生(あしはじめてしょうず)」、次候「霜止出苗(しもやんで なえいづる)」、末候「牡丹華(ぼたん はなさく)」。

ボタン(牡丹 Paeonia suffruticosa)はビワモドキ目(もしくはユキノシタ目)ボタン科ボタン属の落葉小低木で、二回三出複葉で先端のとがる渋みのある色の葉や、離生心皮の花の特徴、端正な草姿から、かつてはキンポウゲの仲間と考えられキンポウゲ科に属していました。現在のクロンキスト体系・APGⅢ体系では、三十種のボタンの仲間のみで一科一属を形成します。

日本には、促成栽培によって正月頃の真冬に花を咲かせて楽しむ冬牡丹栽培の文化や、突然変異で二期咲きになり、冬に花をつける寒牡丹品種があり、冬のイメージもある花ですが、言うまでもなくボタンの花の旬は四月末から五月初め。春と夏をまたぐように、うららかな気候とまぶしい新緑の中で、夢のように美しい八重花弁をふわりと大きく広げます。

ボタンの原種の原生地は中国の西北部・陝西省付近の標高500~2,500mの山岳地で、古代には根皮を鎮痛剤として用いた薬草でしたが、7~10世紀の唐王朝の頃に、花の観賞用に上流階級で大ブームが起こります。

唐王朝前期、シルクロードを通じて西域(胡)趣味が流行り、ペルシア・ササン朝帝国を継いだイスラムの世襲帝国・アッバース王朝が最盛期となり、唐文明に大きな影響を与えました。唐の長安の都人たちはペルシア風の衣装をまとい、ペルシア風の料理や音楽を楽しんだ、と唐の歴史を記した『旧唐書』(くとうじょ 945年)に記載されています。

そして、ペルシア文明で愛されたバラの花に影響を受けて、玄宗皇帝(685~762年)の時代、バラに似た花としてボタンが愛でられるようになります。

けれども、この当時ボタンは「牡丹」とは呼ばれておらず、同じボタン属ですが球根で育つ草本種のシャクヤク(芍薬)に似て木化することから「木芍薬」と呼ばれていました。実は「牡丹」という植物はすでにあったのです。中国南部を中心に、暖かい地方の森林に生える「百両金」とも呼ばれる紫金牛という植物です。


牡丹とは本来、ボタンとは似ても似つかぬ意外な植物?

ところが、長安の都があった中国北部には暖かい地方に育つ紫金牛はほとんどなく、一方で寒冷地を好むボタンの野生種は多く生えていました。その根に似た薬効があるため、長安の人々は、紫金牛の代用としてボタンの根を使用していたのです。

このため、宮廷でボタンの花が観賞用として重用されるようになると、紫金牛の名前だった「牡丹」が、いつしか今で言うボタンに転意されるという現象が起きたのでした。

唐王朝中期にはボタンが「牡丹」と呼ばれるようになったのは、詩人・白居易(772~846年)の「牡丹芳」で明らかです。



牡丹芳 牡丹芳

黄金蕊綻紅玉房 千片赤英霞爛爛

百枝絳點燈煌煌 照地初開錦繍段

~中略~

戯蝶雙舞看人久 殘鶯一聲春日長

共愁日照芳難住 仍張帳幕垂陰涼

花開花落二十日 一城之人皆若狂

牡丹芳(ぼたんほう)牡丹芳

黄金の蕊(ずい)は紅玉の房に綻び

千片の赤英(せきえい)は霞のうちに爛爛

残鶯(ざんおう)一声して春日長し

共に日照って芳のとどめ難しを愁ひ

すなわち帷幕(いばく)を張って陰涼(いんりょう)を垂る

花開き花落つる二十日

一城の人皆狂へるがごとし



白居易は代表作「長恨歌」でも、名君であった玄宗皇帝が政治に疲弊し、楊貴妃に溺れて堕落していくさまを嘆いていて、「牡丹芳」もまた美しい花にうつつをぬかし、大事な政治や生産活動をおろそかにする風潮を批判する内容の諷諭詩なのですが、ボタンの美を描写する筆致はそれゆえにこそ冴え渡り、権勢者の心を奪う傾城の妖姫を歌うかのようです。咲いている二十日間の間、人を惑わすとする「二十日花」という名もここから来ています。


妖花牡丹、平安王朝をも酔わせる

紫金牛は、日本では林下の薄暗い場所にひっそりと生え、晩秋から冬に真っ赤な丸い小さな実を数個つける、現在で言う「ヤブコウジ(藪柑子 Ardisia japonica)」の生薬名です。別名は「十両」。冬に鮮やかな赤い実をたくさんつけて、常緑の葉と赤い実がお正月飾りに利用されるおなじみのセンリョウ(千両)、マンリョウ(万両)は、ヤブコウジのアッパーバージョンなのです。ヤブコウジは日本では古くは「山橘(やまたちばな)」と呼ばれ、『万葉集』には、



あしひきの山橘の色に出でよ 語らひ繼(つ)ぎて逢ふこともあらむ(春日王/巻四 六六九)



など五首が詠まれています。

遣唐使が往来していた平安前期頃までは唐文化の流行はほとんどタイムラグなく日本の王朝文化にも伝わり、ボタンを愛でる趣味は実物の渡来とともに平安貴族たちにも広まって和歌に詠まれました。しかしその名は牡丹ではなく、別の名でした。

平安末期の『千載和歌集』 所収には、



人知れず 思ふ心は 深見草 花咲きてこそ 色にいでけれ(賀茂重保/巻十一)



とあります。この「深見草(布加美久佐)」は本来在来のヤマタチバナ、ヤブコウジを指す名前でしたが、これがボタンに転意したのです。中国での紫金牛(ヤブコウジ)からボタンへの移行が、そのまま日本にも波及したものと思われます。『本草和名(深根輔仁 918年)』で「牡丹 和名布加美久佐」とされ、転意が確認できます。

「牡丹」(赤い雄)という種名についてはかつて当コラムで述べたことがありましたが(牡丹をめぐるとある疑問~)、「牡丹」がもともとはヤブコウジを指していたというなら、そのそぐわない名の疑問は氷解します。「牡丹」の「丹」=辰砂=朱色は、ヤブコウジの赤い実や赤い根を指し、地面からにょっきりと立ち上がるヤブコウジの姿を、牡鹿や牡牛の角に見立てたと考えれば「牡丹」となります。ボタンは不思議な植物で、被子植物であるにも関わらず、受精卵の細胞分裂初期の発生段階では、あたかも原始的な裸子植物のように多核の前胚を形成し、胚自体はその前胚から芽が出るように発生するのです。この不思議な生態は、20世紀半ばには研究者によりつきとめられていますが、なぜこのような生態を取るのか、発生学や系統学的には未だに解明されていません。今なお謎を秘めつつ、今年も人類が作った花の最高傑作と言っても過言ではないボタンが花開きます。



(参考・参照)

清嘉録 蘇州年中行事記  顧禄(中村喬 訳) 平凡社

白楽天詩選 白居易 岩波書店

植物の世界 朝日新聞社

本草和名


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