9月2日にイタリア水の都・ベネチアで開幕した「ベネチア国際映画祭」。
カンヌ、ベルリンと並び「世界三大映画祭」のひとつとされていますが、ベネチアとカンヌ、ベルリンには、それぞれどんな違いがあるのでしょうか?
映画祭の特徴を見ていくと、イタリア、フランス、ドイツ三者三様の歴史、国民性がわかってきます。
「ベネチア国際映画祭」といえば、かつて北野武監督が金獅子賞(最高賞)を受賞したことで、映画監督としての地位をも確立した日本人にとってなじみ深い映画祭。一体どんな映画が好まれるのでしょうか?

映画人なら一度は歩きたい憧れのレッドカーペット
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アカデミー賞は世界三大映画祭じゃない!?

「最も有名な映画祭は?」と日本人にたずねると、多くの人は「アカデミー賞」と答えるでしょう。
アメリカで行われる「アカデミー賞」は、「映画界最高の栄誉」とも称される映画の祭典です。
日本でも中継が行われ「今年の主演女優と主演男優は?」「作品賞は?」と、賞の行方に大きな注目が集まりますが、意外にも「アカデミー賞」は「世界三大映画祭」ではないのです。
基本的に「アカデミー賞」にノミネートされるのは英語の作品。それ以外の作品は「外国語映画賞」に区分けされます。
さらに両賞の大きな相違は、すでに“公開済み”の作品がノミネート対象となる「アカデミー賞」に対して、「世界三大映画祭」では、ノミネートされる作品の多くが“公開前”であるという点。
要は、完成した作品を称賛し、賞の名称を刻印したオスカー像を授与する「アカデミー賞」と、これから作品を世界に広めていくことを目的とした“商業的”な意味合いをもつ「世界三大映画祭」といった違いがあるのです。

アート性にこだわる「ベネチア国際映画祭」

「世界三大映画祭」の中で最も歴史が長く、芸術の映画祭として知られる「ベネチア国際映画祭」。
その起源は古く、世界最大級の美術展覧会である「ベネチア・ビエンナーレ」の映画部門として開催された1932年に端を発します。
まさに「ベネチア国際映画祭」は、国ごとに出展ブースが設けられる、いわば「美術のオリンピック」といったもの。
ベネチア国際映画祭に出展される作品が「アート性が強い」と言われる理由はここにあったのです。
日本人監督の作品では、
■1951年/黒澤明『羅生門』
■1958年/稲垣浩『無法松の一生』
■1997年/北野武『HANA-BI』が金獅子賞(最高賞)を受賞。
いずれも、作品の芸術性が高く評価されたと言われています。

ベネチア国際映画祭の開催地リド島はイタリア屈指のリゾート地
ベネチア国際映画祭の開催地リド島はイタリア屈指のリゾート地

豪華絢爛、世界最大規模の「カンヌ国際映画祭」

1946年に初めて開催された「カンヌ国際映画祭」。
ベネチアに対抗して開催されたカンヌはフランス政府の手厚い援助を受け、スタートしました。
特徴的なのは「国際見本市」が併設されていること。国際見本市は商談の重要な場となります。
そのため「カンヌ国際映画祭」が開かれる時期には、ありとあらゆる映画関係者が数千人規模で集まると言われています。
コンペティションに目を向けると、カンヌの場合、毎年審査員が変わります。
米国人が入る場合もあれば、ヨーロッパ勢で占められる場合もあり、受賞する作品の傾向も様々です。
日本人監督の作品では、
■1954年/衣笠貞之助『地獄門』
■1980年/黒澤明『影武者』
■1983年/今村昌平『楢山節考』
■1997年/『うなぎ』で今村昌平の作品が2度目となる金賞(最高賞)を受賞。

ドイツの歴史を物語る社会派の「ベルリン国際映画祭」

1951年に初開催となった「ベルリン国際映画祭」。
第二次世界大戦前に芸術の都として栄えたベルリンは、大戦後、東西に分断されます。
当時の西ベルリンはアメリカ、イギリス、フランスに占領されており、東ドイツに囲まれた西ベルリンから西側の芸術文化をアピールしたいという政治的意図もあり、1951年に映画史家、アルフレッド・バウアーによって開催。「ベルリン国際映画祭」で社会派が好まれるゆえんは、こうした歴史的事情が関係しているといえるでしょう。
日本人監督の作品では、
■1963年/今井正『武士道残酷物語』
■2002年/宮崎駿『千と千尋の神隠し』が金熊賞(最高賞)を受賞。
「ベネチア国際映画祭」をはじめ、世界的に9~11月は映画祭が多く開催されるとともに、日本では芸術の秋がスタート。サスペンス、アクション、重厚な人間ドラマ、コメディー etc.……、多彩なラインナップの中から、今秋あなたはどんな作品を鑑賞しますか?