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興福寺
669年に造営された山階寺が起源、南都七大寺の一つ。藤原氏の氏寺で、阿修羅像をはじめ、数多くの国宝がある
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興福寺
10月7日、再建された中金堂では大太鼓(だだいこ、上)が打ち鳴らされ、落慶奉告法要が厳かに営まれた
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興福寺
9日には「南都隣山会厳修 落慶慶讃四箇法要」があり、興福寺に近い諸寺が祝った
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興福寺
藤原鎌足の子・不比等により興福寺と名づけられた寺は、戦火などにより、いくども伽藍が焼失した。今回再建された中金堂は約300年ぶりに当時の荘厳な姿を現し、五重塔(右)と共に興福寺の新しい価値を生み出した
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唐招提寺
日本に戒律を伝えるために来日した唐の僧・鑑真が759年に戒律を学ぶための道場として開いたのを始まりとする
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唐招提寺
鑑真の死後、弟子たちにより建造された金堂は、奈良時代に建立された寺院の仏堂としては飛び抜けて大きなもので、奈良時代の金堂として唯一現存している。正面に大きな庇が伸び、吹き放ちになっているのが特徴の一つだ。金堂は2000年から10年の歳月をかけて解体修理が行われた。創建当時は、ここで紹介した他の建造物同様、鮮やかな色使いであっただろうが、渋い色合いがかえって重厚感を醸し出している。奈良市の中心から離れたところにあるのが幸いし、戦火を逃れた証しである
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薬師寺
680年、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願い、建立を発願したのを始まりとする
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薬師寺
故高田好胤(こういん)師が1967年に管主に就任した際、白鳳時代の伽藍を復興したいと計画が始まった。76年に金堂が、81年には西塔が落慶。東塔と比較すると色彩だけでなく、高さや屋根の反り具合など形状が異なる。それは復興を指揮した西岡常一棟梁が「500年後には同じ高さになる」と見込んでのこと。約40年を経た現在、西塔は白鳳伽藍の重要建造物の一つとして、静かにそして威厳を持って佇んでいる。また、東塔は現在解体修理中で、2020年に落慶予定。西塔、東塔とも三重塔だが各層に裳階(もこし)と呼ばれる風雨から守る庇があるため、6層に見える
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薬師寺
食堂は2017年に復興され50年にわたる一連の復興事業が一区切りを迎えた。内部には全長50メートルの「仏教伝来の道と薬師寺」の壁画が描かれている
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平城宮跡
710年に遷都された平城京の中核部分であった宮の跡地。天皇の住まい、官公庁などが集まる政治・文化の発信地でもあった。
平城京の北辺中央に位置する平城宮は東西1.3キロ、南北1キロの広さ。数多くの建物のなかで最も重要なものが2010年に復元された第一次大極殿である
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平城宮跡
かつてここでは天皇の即位式、外国使節との面会などが行われ、内部には天皇が鎮座する「高御座(たかみくら)」が置かれている
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平城宮跡
平城宮の東張り出し部には正確に復元された東院庭園があり、奈良時代の美意識を体験できる
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平城宮跡
南には法隆寺中門を参考にして復元された平城宮の正門である朱雀門がある
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