「悲しいまでに凡庸」だった青年が日本政治の頂点に君臨し、この国の姿を変容させるまで 安倍晋三氏のルーツを探る
1937年の選挙で、安倍寛が掲げた“選挙マニフェクト”。貧富の格差を憤り、失業者対策の必要性を訴え、生活が不安定な勤労者や農家、中小企業経営者などに配慮を寄せる。一方、大資本や財閥特権階級には厳しい視線を向けた 1958年の総選挙で初当選した安倍晋太郎。妻・洋子と (c)朝日新聞社 外遊後、箱根の旅館で静養中の岸信介。孫の晋三(左)、寛信と一緒に(1957年) (c)朝日新聞社 「安倍寛(あべかん)」という政治家をご存じだろうか。庶民目線の政治家として、道理を外した権力の専横にあらがい、戦時中に反戦を唱え、没後70年を経たいまも地元の人々に慕われ続けるこの人物こそ、安倍晋三首相の父方の祖父である。その志を継ぎ、リベラル保守の政治家として外相も務めたのが、息子の安倍晋太郎。優れたバランス感覚をもち、「オレのオヤジは大したやつで」が口癖だった晋太郎は、終生、寛の息子であることを誇りにしていた。
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