『SKYDOG; RETROSPECTIVE』DUANE ALLMAN
『SKYDOG; RETROSPECTIVE』DUANE ALLMAN

 ジョージ・ハリスンの初ソロ作『オール・シングズ・マスト・パス』への貢献、ライシアム・ボールルームで開催されたチャリティ・イベントでの初ライヴなどをへて、クラプトンの新バンド、デレク&ザ・ドミノスはいよいよアルバムの録音に向けて動きはじめる。

 プロデュースを依頼したのはクリームの2作目で出会い、初ソロ作のミックスも任せたトム・ダウド。1970年8月1日から22日まで英国各地を回った彼らは(バンド名の匿名性が強過ぎたためか、ほとんど客のいない日もあったらしい)、そのままダウドの待つマイアミのクライテリア・スタジオに向かった。

 許されない愛がテーマになるということは、メンバーやスタッフも理解していたはず。だが、クラプトンとホイットロックのセッションからはまだそれほど多くのオリジナル曲が仕上がっていたわけではなく、リハーサルを重ねても、作品全体の方向性やドミノスが目指すべきサウンドはなかなかみえてこなかったという。そこに、いわば救世主的な存在として、一人の男が登場する。ドゥエイン・オールマンだ。

 クラプトンの自叙伝やホイットロックの回想などによると、8月26日にオールマン・ブラザーズ・バンドがマイアミでライヴをやることになり、その情報を彼らのセカンド・アルバム『アイドルワイルド・サウス』のプロデューサーでもあったダウドに伝えてきた(この段階でオールマンズはまだ一般的な人気や評価を得ていない)。メンバーとの雑談のなかでダウドがそのことを話すと、クラプトンが「ぜひ観たい」と反応し、全員で観にいくことになった。ウィルソン・ピケットの《ヘイ・ジュード》での素晴らしいギターを聴いて、彼はすでにドゥエインに強い関心を抱いていたのだという。

 最前列に座るクラプトンを目にして、オールマンズのメンバーは固まったそうだが、ともかく、終演後は全員でセッションということになった。そして、ごく自然な流れとして、エリックはドゥエインのアルバム録音への参加を要請する。深い部分で共通するものと、自分にはないものの両方を、本能的に強く感じたのだろう。結局、「あくまでも準メンバーとして」という条件つきではあったものの、この偶然の出会いがきっかけで、ドミノスのアルバム制作は、予想もしていなかった方向に進んでいく。もちろん、いい方向に。

 2013年にリリースされた『スカイドッグ ; レトロスペクティヴ』は、71年に24歳で夭折したギタリスト(スライド・ギターの名手であり、ジャム・バンド・ムーヴメントの始祖でもある)の音楽人生を7枚のディスクにまとめたもの。弟グレッグとの初期のバンド、ピケットやボズ・スキャッグスらのバックで名演を残したマッスルショールズでのセッション・ワーク、オールマンズの一連の名曲、ドミノスとのセッション、カウボーイの《プリーズ・ビー・ウィズ・ミー》など亡くなる直前のセッションまで、129曲が最新のリマスター音源で収められている。選曲はもちろん、詳細な記述のライナーノーツ、愛器レスポールの意匠を生かしたボックス、弦の袋を再現したCDスリーヴなどからも、周囲の人たちからの深い想いが伝わってくるようだ。

 この連載では、固有名詞に関しては、イヤらしくならない程度に、もちろん仮名でということではあるが、なるべく正確に表記するようにしている。たとえば、今回の「ドゥエイン」は、クラプトンを含めた関係者から直接聞いた発音を、僕なりに片仮名化したもの。既出のディレイニー・ブラムレットやリオン・ラッセルも同様。レコード会社が採用した表記という壁があり、雑誌などではデュアン/デラニー/リオンとされてしまうことが多いのだが、この連載では、ささやかな提起という想いも込めて、こだわっていきたい。[次回10/29(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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