
「村上春樹」に関する記事一覧


恋しくて
海外文学の本はあまり売れない。ハリー・ポッター・シリーズのようなメガヒットもあるが、それはごくまれな例外だ。 アンソロジーというのもあまり売れない。いろんな人の作品が入っているのがだめなんだろうか。幕の内弁当が好きなくせに。 だから海外文学の短編アンソロジーというのは二重苦なのである。ところがそのハンデを吹っ飛ばして売れてしまうのは、編訳者が村上春樹だからだろうか。それとも竹久夢二「黒船屋」の一部分を使ったカバーが素晴らしいからか(装幀は田中久子)。 『恋しくて』の話である。 村上春樹が選んで翻訳した短編小説が9つと、村上自身の書き下ろしが1つ。合わせて10の短編小説が入っている。共通するテーマは恋愛だ。 スターを夢見る若い女性と音楽家を目指す青年が結婚式の代理人をつとめる「愛し合う二人に代わって」(マイリー・メロイ)。ゲイのカップルであるツェッペリン飛行船の乗組員を描いた「恋と水素」(ジム・シェパード)。49歳の弁護士と33歳の公認会計士の不倫の顛末「モントリオールの恋人」(リチャード・フォード)。ぼくが特に気に入ったのはこの3つだけど、他の7編もすばらしい。以前に出た『バースデイ・ストーリーズ』やレイモンド・カーヴァーの短編集でも感じたように、村上は編者としてもセンスがいい。 小説であれ漫画であれ映画であれ、フィクションとしての恋愛は読む者・観る者をニヤつかせるところがある。少年のころの、まだ恋愛に夢と希望を抱いていた日々に戻らせる効果があるようだ。こういうのを本当の「回春」っていうんじゃないのかな。 最近の週刊誌では中高年向けの性愛特集が多く、その内容もかなり濃厚だ(むしろグロテスクといいたいほど)。しかし、具体的かつ肉体的な技術の話なんかよりも、上等な恋愛小説を読むほうが、はるかにエロチックな行為だと思う。



色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
一読しての印象は「まぁ普通の小説かな」。「普通」とは、作者の過去の作品や近年の他の作家の作品と比較して、すごくもないがひどくもない、くらいの意味である。作中人物の言葉を借りれば〈勝つこともあれば、負けることもある〉。 団塊ジュニア世代とおぼしき主人公の多崎つくるは36歳。高校時代に4人の友人に恵まれたが、20歳になる直前、理由もわからず一方的に絶縁された。封印してきた過去と向きあうために、彼は仲間たちを訪ねる旅に出る。時間と空間にまたがった一種のロードノベルである。 とはいえ、もちろんそこは村上春樹。深読み心をくすぐるトラップは随所に仕掛けられている。駅舎を作る仕事。リストのピアノ曲。6本の指。性的な夢。そして色のつく名前(赤松慶・青海悦夫・白根柚木・黒埜恵理)。ここから四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)とか、庄司薫の四部作(赤頭巾ちゃん、白鳥の歌、快傑黒頭巾、青髭)とかを連想することも可能だし、それぞれの色の持つ役割を子細に検討したら、おもしろい像が浮かぶのかもしれない。 が、その手の深読みはみなさまにお任せし、あえて浅読みすると、これは究極の「自分探しモノ」である。つくるは5人組の中では〈好感の持てるハンサムボーイ〉だったのに、当人は自分を〈色彩とか個性に欠けた空っぽな人間〉だと思い込んできた。4人の仲間のうち男子2人(赤と青)はいわば色彩に乏しい世俗的な大人になり、女子2人(白と黒)の1人は過酷な運命に弄ばれるも、1人は新天地で色を獲得した。この小説の世界では、カラフルな者が存在感をなくし、無彩色な者が変貌をとげる。緑川も灰田もそう。 にしても『1Q84』はDVへの報復で今度はレイプと妊娠か。すべてお膳立てしてつくるを過去に旅立たせるのは沙羅、彼の未来に向けて強く背中を押すのは恵理。そして毎度おなじみのセックス描写。女の役割が男の支援者か性的対象だっていうあたりが古くさい。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
タイトルの他には一切の情報を提供しないという販売戦略は功を奏し、当初30万を予定した発行部数は、4月12日の発売当日、4刷50万部となっていた。都心のいくつかの書店では、カウントダウンまでして同日の午前零時を迎え、行列をつくって待っていたファンに販売。それらの様子は早々に朝のテレビ番組で紹介され、発売日にさらに10万部の増刷が決定した。 これはもう村上春樹祭だ。 ここ数年、秋が深まるたびにノーベル文学賞の有力候補として名前があがる日本人作家、村上春樹。世界数十カ国で翻訳され、海外の文学賞を多数受賞し、前作『1Q84』シリーズは700万部を売り上げ、固定読者が数十万人はいると言われる、村上春樹。厳しい業績がつづく出版業界がその人気にあやかろうとするのは必然で、スマホや人気ゲームの販売方法を踏襲して祭となった。 もちろん、祭の本番はこれからだ。小説を読んだハルキストたちは我先に作中にある謎を取りあげ、ブログやSNS上で自身の読解を披瀝しはじめる。今回であれば、「色彩を持たない」とタイトルにあるにもかかわらず、多崎つくるは「何色」かと解析をはじめる強者がきっと現れる。また、途中で行方がわからなくなる灰田のその後や、過去の作品群との関連について詳細に分析してみせる者も登場するだろう。作中で重要な役割を担う楽曲のCDも、そろそろ売れだすに違いない。 私は1979年に『風の歌を聴け』を手にとって以来、リアルタイムで全作を読んできたのだが、この小説の読後にまず浮かんだのは、タイトルどおりの内容という感想だった。読んでいる間は、デビュー作を含むいくつかの村上作品を思いだした。そんな既視感とともに当時の暮らしぶりもよみがえり、再生のために「訪ねて尋ねる」というアプローチで過去と対峙する主人公とは違う方法で、はからずも自分の過去と向きあった。 100万部突破は発売7日目だった。