AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL

「話題の新刊」に関する記事一覧

カンタ・エン・エスパニョール!
カンタ・エン・エスパニョール! 題名を訳せば「スペイン語で歌う!」となる。その言葉どおり、本書は、主にスペイン語圏出身のミュージシャンへのインタビュー集である。  著者がアルゼンチンのコラムニストゆえ、登場するのは南米のミュージシャンが多い。そして、彼らの多くが軍事政権による圧迫を受け、一部は亡命を余儀なくされるなどしており、それだけに語られる言葉は日本のミュージシャンとは比べ物にならないほどの深遠さをたたえている。  「俺はマハトマ・ガンジー」と言うラテン・ロックの雄、チャーリー・ガルシアの個性、亡命生活の苦しみを語る、詩人にして、ウルグアイを代表する音楽家でもあるアルフレッド・シタロッサの言葉の重み、「エルヴィスよりボルヘスになりたかった」というホアキン・サビーナや、ニーチェやフーコーに影響を受けた歌詞を書くルイス・アルベルト・スピネッタなどの言葉に漂う、詩的で哲学的な雰囲気……。  そしていうまでもなく、読了後、彼らの音楽を聞きたくなるのである。
細菌が世界を支配する
細菌が世界を支配する 細菌というと、バイキンだなんだと悪者扱いされるのが常だが、とんでもない。すべての生物が生きていられるのも、地球環境が健全に維持されるのもこれみんな細菌のおかげだという。細菌の生態から歴史、近年重要性を増す微生物生態学まで、知られざる細菌の世界を案内している。  彼らは地表だけでなく、6万メートルの上空や超高圧の地下深部、深海とあらゆる場所にいる。全細菌の重さは、なんと人類65億人の質量の2千倍以上。膨大な数の彼らは有機物のみならず、鉱物でも金属でもどんどん分解して、生態系を維持するための物質を再生産する。生命活動に絶対必要な窒素を環境に循環させるのも細菌で、早い話が私たちの食べ物も自分の体も、製造元は全部細菌なのだ。  驚くのは細菌の力を利用したテクノロジーだ。病気治療をはじめ、有害化学廃棄物を出さないクリーンな生産技術、石油に代わる新エネルギー創出、果ては美術品の修復まで可能にする。  小さな細菌たちに生殺与奪の権を握られているという逆転の感覚に、ゾクゾクする。
世界で一番詳しい ウナギの話
世界で一番詳しい ウナギの話 2009年、本書の著者である塚本勝巳東京大学海洋研究所(当時)教授が率いるチームが、天然のニホンウナギの卵を採集し、産卵の時期と位置を厳密に特定したことは記憶に新しい。  本書は、発見に至るまでの軌跡とウナギの回遊の謎、さらにはシラスウナギ不漁の原因や、卵からのウナギ養殖の可能性も論じた一冊だ。  まず冒頭で示される「なぜ、動物は旅に出るのか」という巨視的な視点が興味深い。そしてもともと深海魚だったウナギが回遊魚へと進化した過程が論じられ、こちらもすこぶる面白いのだが、やはり、長い時間をかけ、試行錯誤を繰り返しつつウナギの産卵場所を徐々に特定し、ついに卵の発見に至るまでの描写が何より読む者を惹きつける。  広大な海を面で網羅的に調査して、「いない」ことを確認することで「いる」可能性のある範囲を狭めていくグリッドサーベイと、データに基づく「三つの仮説」によって、ついには卵を採集するに至る記述からは、科学の現場のすさまじさを体感できるだろう。
わが友の旅立ちの日に
わが友の旅立ちの日に 86歳で今年度の文化功労者に選ばれた画家の安野光雅さんの最新刊。安野さんは終戦後は学校の代用教員などもしたが、教え方も独特だった。いたずら心も人一倍あって、理科の時間に生徒に大根おろしを山ほど作らせて竃(かまど)で煮て水飴を作ろうとして大失敗したこともある。学校を辞めて画家として独立しても安野流の挑戦は続いた。疑問は放ってはおけずに、本で調べたり知人に自分なりに理解するまで聞いた。  画家なのに本誌連載でもわかるように数学者や音楽家など多方面に数多くの知人がいるのである。安野さんは読書家で、文語文の世界が好きで、昔読んだ本のことを驚くほどよく覚えている。  この本はずっと昔に「暮しの手帖」に連載したエッセイに、新しいニュースや友だちの新しい旅立ちや恋愛のこと、科学のことなどを入れている。国際アンデルセン賞をはじめ、たくさんの賞を受けているのに偉ぶらず、子ども心で編集者を冗談で笑わせる。安野マジックで次々に新しいアイデアが浮かんでくる。次の大作が楽しみだ。
世界珍本読本 キテレツ洋書ブックガイド
世界珍本読本 キテレツ洋書ブックガイド 本書は、世界の「キテレツ洋書」を取り扱う書店「どどいつ文庫」を営む著者が、選りすぐりの200点をセレクトの上、解説を付したものである。  「どこまでも、気のむくままに、これはヒドい!これはアホぢゃ!とお楽しみいただければ幸いであるまする」……あるまする? 世界中のマニアックな書籍を蒐集し続けたせいなのか、著者の語り口もなんだかキテレツだ。  一冊目に紹介されている『放置自転車写真集』からして「どうしてこんな本を作ろうと思ったのだろう?」と問わずにいられないが、これはまだ序の口。有刺鉄線や鉄条網のデザインを千種類もイラスト図解入りで紹介する本や、名も知れぬ一般人のラブレターを集めた本、「自称独立国」の数々を巡る旅行ガイド本などが、次から次へと押し寄せてくる。本書を読み終わる頃には、すっかりキテレツ本支持者となって、「こんなにも夢中になれるモノがあっていいな」という思いがこみ上げ、自分の凡庸さがなんだか悲しく思えてくること請け合いだ。
愛と欲望のナチズム
愛と欲望のナチズム 第二次世界大戦前夜、ナチズムは国民に厳しい統制を敷いたことで知られる。民族繁栄のため「産めよ殖やせよ」を掲げ、性生活に対しても介入したが、保守的な道徳観を強制的に押し付けたわけではない。不倫や婚前交渉も容認する意外な一面を持ち合わせていた。  本書で参照している当時の新聞や雑誌などからはナチス幹部の性に対する建前と本音の乖離の大きさがうかがえる。「性」の容認は出生奨励策と同時に抑圧された状態に置かれた人々のガス抜きの手段として位置づけられた。性行為だけでなく、ヌード雑誌や進歩的な性教育にもナチスは寛容な姿勢を見せたことからもそれは明白だ。性愛という人間の根源的な欲望を利用したことがナチズムという非人間的な体制を可能にしたのだ。  興味深いのはナチズム遂行の動員装置として性愛は作用したが、想定以上の風紀の乱れなど望ましくない現象を数多くもたらしたことだ。思惑通りに統治が進まない中でナチスがどう舵取りしたかという視点で読めば従来と異なるナチズム像がより鮮明になる。

この人と一緒に考える

島へ免許を取りに行く
島へ免許を取りに行く 写真家で、エッセイ・紀行文作家でもある著者が、40代の今まで持っていなかった車の免許を取ろうと思いたつ。愛猫をなくし、人間関係に行き詰まって、何か新しいことに挑戦したくなったのだ。合宿免許を探すことになり、年齢制限でつまずいたりしながら見つけたのが、海の真ん前にあって、なんと乗馬体験もできるという、長崎県五島列島は福江島の「ごとう自動車学校」だった。  免許取得までの涙あり笑いありの道のりは多くの人にとって身に覚えがあることだろう。そこへさらに五島という土地と住民たちの魅力が加わり、軽快な筆致に引きこまれる。大半は趣味が魚釣りという教官陣、それぞれの事情を抱えた若い教習生たち……。著者は運転をめぐって教官と丁々発止のやりとりを交わし、若者たちにさりげなく歩み寄る。  教習がうまくいかないときは、併設の馬場で厩舎の仕事を手伝い、学校を飛び出していろんな人と話し、島の日常に触れる。旅先での出会いを書いてきた著者らしく、活き活きした人々の姿が印象に残る一冊。
中国外交 苦難と超克の100年
中国外交 苦難と超克の100年 現代中国の外交戦略は「保守派と改革派の対立」といった図式ではとらえられない。著者によれば、理解のカギは近代史にある。  中国人自身も囚われてきたアヘン戦争に始まる「屈辱の近代史」というイメージは、中国の外交戦略の連続性を覆い隠してきた。本書は、「イデオロギーにもとづく歴史観」の乗り越えを目指す近年の中国史研究の成果を参照しつつ、その連続性をたどり直す試みだ。  見いだされた連続性。それは、時に過激なスローガンを掲げつつも、その実一貫して「現行の国際秩序」を黙認し「国内安保」「国力増強」を最重要視し続ける外交姿勢である。だが、その姿勢も1997年のアジア金融危機以降、大きな転換点を迎えたと著者はいう。中国は「責任ある大国」として国際社会に積極的な参入を始める。  GDPは世界第二位になったが、国民一人当たりの所得は日本の9分の1。「経済発展」路線と「大国」の責任のはざまで外交姿勢を模索する中国。本書はその行く末を見定める材料を提供する。
中国人との「関係」のつくりかた
中国人との「関係」のつくりかた 国内のビジネスマンを主対象に、中国人の関係の結び方を「グワンシ」というキーワードを用いて解説したもの。聞き慣れない概念だが、香港大学で教鞭を執るツェは、日本企業が中国進出に失敗する背景に、日本人のグワンシへの理解不足を指摘する。  グワンシとは、自分を中心とした同心円にもとづく人間関係を指す。部外者と身内を区別し後者を重んじる行動原理でもあり、人口の多い中国において特に経済的混乱が見られる際、資源の再配分に関わる機能を担う。このことは日本が集団(会社や社会)のルールを優先して個人的な人間関係を後回しにするのに対し、中国では後者を優先させ前者を後回しにするという相違点にも結び付く。以上の点を理解した上で日本企業が行うべきは中国人従業員との“対話”だという。従業員に中国企業との違いを根底の文化差から伝え、納得してもらうことが中国進出成功の鍵となるのだ。  グワンシについて学術研究を基盤としつつ、現状に即したアドバイスも交えたバランスの良い実践書である。
日本、買います 消えていく日本の国土
日本、買います 消えていく日本の国土 土地を獲得してはチャラになるということを四千年も繰り返してきた中国人は「土地と水に恋して」きた。それに応えた我が国の売国ビジネスマンが、中国人や韓国人に日本の国土を切り売りしている。全国の山林は国が把握している分だけでも、山手線内の半分強の面積が今や中国人などのものだし、農地、国境離島、軍用地までもが「幽霊地主」化され、中国・韓国人の土地となっている。日本人は済州島を買えないが、韓国人は対馬を買えるし、すでに買っている。それどころか彼ら外国人は、日本全土を無制限に買えるのだ。なぜなら「外資規制が皆無」だから。  こんな国は世界でも日本だけで、開かれた日本はこの先、中国人や韓国人に国土を虫食いにされ、やがて尖閣諸島や竹島の領土問題は、北海道や沖縄にまで踏み込まれるだろう。「投資目的は、ビンテージ・ウイスキーと一緒で、貯蓄の一種です」なんぞと、せこいレトリックで国土を飲み干されるその前に、土地の外資規制法規を制定しろ――と、著者は新たな国土防衛を訴える。
中国と茶碗と日本と
中国と茶碗と日本と 四川大学で日本文学を学び、さらなる日本文化研究のため来日した著者は、日本の日常に、古代中国に由来する慣習が息づいていることに驚く。  例えば正月に飲む「お屠蘇」。実は、中国ではそんな慣習は既に廃れ、屠蘇酒の名は、古代の漢詩のなかでしか見ることができないのだ。  著者は、まるで古代中国の夢に入り込んだような感覚を覚え、「日本のなかの古代中国」を探し求める。  しかし、同じ「昔の中国のもの」でも、茶の湯で使われる中国製陶磁器の良さが、著者にはわからない。派手さはなく、むしろ粗末に見える。中国の美意識では評価されないであろうそれらがなぜ日本でもてはやされ、一部のものは国宝にまでなったのか。  著者は日本と中国のさまざまな文献を調べつつ、その謎を解いてゆくのだが、その過程が実にエキサイティングである。  隣国の女性研究者の新鮮な目によって、改めて日本文化とは何かを突きつけられる作品である。
上海、かたつむりの家
上海、かたつむりの家 上海市は、中国の総面積の1%にも満たない小さな行政区だが、この街にうごめく約2500万人が、国の経済発展を強力に牽引している。  本書の登場人物たちもまた、上海の経済発展、経済格差と無縁ではいられない。10平米の超狭小アパートに夫と暮らす海萍(ハイピン)は、田舎の母に預けている我が子に他人と認識される一歩手前のところまで来て、慌てて不動産購入を決意する。親子愛を取り戻すためには「かたつむりの家」を出なくてはならないが、上昇し続ける不動産価格のせいで、頭金を貯めることさえ出来そうにない……。  妹への借金申し込みをきっかけに動き始めた物語が、国家レベルの汚職にまで繋がってゆく構成は、見事と言うほかなく、息もつかせぬクライマックスは、上質のエンターテインメント。金に殺される者と生かされる者、両者の分かれ目は、まさに紙一重だ。庶民だろうと官僚だろうと、堕ちる時は堕ちるという真理の中に、リアルな中国の「今」が匂い立ち、背筋に冷たいものが走る。

特集special feature

    適正技術と代替社会 インドネシアでの実践から
    適正技術と代替社会 インドネシアでの実践から 適正技術とは、例えば先進国の技術を発展途上国に移転する場合に、現地の社会的、経済的、文化的な側面を配慮し、受け入れ可能とした技術のことであり、同時に公害や資源浪費、人間疎外などを生み出さないよう配慮された技術のことも指すという。  1960年代から80年代にかけて盛んに論じられた言葉を今持ち出すのは、著者がいま、まさに「適正技術」をインドネシアで実践しているからだ。  水質汚濁が深刻なインドネシアにおけるヤシの繊維を利用した小規模な回転円板式排水処理装置やバイオマス廃棄物を利用したガス化実証プラントの設計など、現地での取り組みが語られるが、著者の現場の体験をもとにしたそれは、非常に具体的で興味深い。  終章では、化石燃料消費量や再生可能エネルギー導入可能量、経済成長の可能性などから、マクロな視点できたるべき「代替的な社会の方向性」が論じられる。3・11以降、エネルギーへの不安が高まるなか、具体的な実践によって、新たな目を開かせてくれる本である。
    歳々年々、藝同じからず 米朝よもやま噺
    歳々年々、藝同じからず 米朝よもやま噺 ラジオのトーク番組を活字化した芸談集。人間国宝の師匠は、大正14年生まれの86歳。戦後の上方芸能人や作家たちを紹介しながらの話が深く染み入る。  田辺聖子の「笑いは愛から来る」という言葉を紹介したのち、「嫌味な人がおかしいことを言うても、そないにドッとはウケない。でも、普段から皆に可愛がられている人が言うと、ようウケる」と続ける。若い人の稽古を見て「ふと、新しい発見がある」という二歳年上の狂言師・茂山千之丞の言葉のあと、「歳を取ってからでも何かに気がつくということはちょいちょいあります」。プロデューサーの沢田隆治は、映画館に通い、映画のカット割りをテレビに生かそうとした。それが「てなもんや三度笠」の大ヒットにつながった。「その努力たるや、並大抵のものやなかった」と米朝。  「今では師匠が弟子を叱ることも大変になってきたらしい。でも、芸というものはホンマは怖い人がおらんといかんのやと思います」とも語る。米朝のやさしい語りをいかした、生きた大衆芸能史でもある。
    ドキュメント 東京大空襲 発掘された583枚の未公開写真を追う
    ドキュメント 東京大空襲 発掘された583枚の未公開写真を追う 去年の夏、66年ぶりに発掘された、583枚の「東京大空襲」の被害写真。それらは木村伊兵衛率いる軍事宣伝誌「FRONT」の写真家たちが撮影した、大規模な「非戦闘員焼殺作戦」の実態を証す写真群だった。本書によると、当時、東京の小学校の「音感教育」では、B-29のエンジン音と、日本軍の戦闘機のエンジン音を聞き分ける訓練を繰り返していたという。また「防空法」に縛られた市民は、焼夷弾の火雨の中を逃げることも許されず、バケツリレーで無謀な消火を強いられていた。その間、土砂に埋まった防空壕の中で、ハンカチで包んだコッペパンを手に、女の子がひとり息絶えた――昭和十九年十一月二十四日。  わずか二時間半で、非戦闘員十万人を焼き殺した「東京大空襲」を、アメリカ人の大半が知らないという。戦争を終結に導いた「人道的兵器」の原爆は知っていても。初空襲から「東洋のサル」を焼き殺すべく、米国は「無差別大量殺戮」を「人道的戦術」として選んでいたことも――私を含め、今や日本人の大半は、知らない。
    黄金の少年、エメラルドの少女
    黄金の少年、エメラルドの少女 北京出身で、今やアメリカでもっとも優れた新鋭のひとりとして知られる女性作家の小説集。九つの短篇の大半は現代中国が舞台だ。  表題作では、母親の手で育てられた40代の男性と、父親しか知らない38歳の女性が気のりのしない見合い話に付き合う。中国では理想的な男女のことを「金童(ゴールド・ボーイ)」と「玉女(エメラルド・ガール)」と呼ぶが、適齢期を過ぎて独身の二人は、世間から見れば変人だ。だが、二人は独りきりの未来を受け入れ、人生に期待しなければ失望しないことを知ってしまっている。心を閉ざす者同士の哀しみはすぐに癒やされるものではないが、物語は、時の流れと他人の優しさが心の傷を癒やすことを暗示させる。  移住先のアメリカで一人娘を失った壮年の夫婦が、中国の辺鄙な山岳地帯で代理母を探す「獄」。適齢期になっても結婚しない子を持つ母親たちが不倫の探偵業に生きがいを見いだす「火宅」。愛の求め方と諦め方は独特だが、頑なに孤独を選んでいるようにも見える人々が社会の片隅に安らぎを得る姿がやさしい。
    辺境ラジオ
    辺境ラジオ 思想家の内田樹、精神科医の名越康文と毎日放送アナウンサーの西靖、関西で活躍する3人が最新トピックスを語るラジオ番組「辺境ラジオ」を書籍化。大阪という“辺境の視点”から、“辺境メディア”のラジオゆえの奔放なトークを繰り広げている。  大政治家に必要なのは「一貫性がなく無節操というおばさんの感覚」と言い放ち、「停滞する大阪を元気にしよう」という地元の機運には「このままでいいよ」。あげく、うめきた(大阪駅北地区)に大仏を建てよう、なんて話で盛り上がる。  いやいや、そりゃちがうでしょと思いつつも読み進むうち、次第にちょっと待てよと考え始める。思考回路がカチャリと組み替わって、自分の考えはただの先入観か、メディアの言説にすぎないかもしれないという可能性に思い至るのだ。  彼らの話が正しいかどうか、それは問題ではない。肝心なのは、彼らの辺境的視点によって思考が根本から揺さぶられ、世界の別の色合いが見えてくること。どんな問題も答えは一つとは限らない、考え続けよという強烈な一撃が心地よい。
    飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白
    飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白 大阪市営地下鉄「動物園前」駅から徒歩数分のところに“異界”が広がっている。同じような造りの“料亭”が連なり、開け放たれた玄関の奥には、手招きするオバちゃんと、ピンクのライトに照らし出され、にこりと微笑むきれいな女性の姿。ここは旧遊郭の名残を色濃く残す飛田新地だ。  会社から整理解雇され、父の保険金が入ったばかりの著者。突然、高校時代の先輩に「飛田の親方、やらへんか?」と持ちかけられる。「月、500万前後の儲けや」という。そんなわけがないと思いつつも、話を聞いた飛田経営者の「いかがわしい場所とか言われるけど、そういう場所で人間の道極めるのもオモロイで」という一言が心に残り、この世界に飛び込んだ。  料亭の2階で行われている“自由恋愛”の実際や、女の子が飛田に来る理由、月300万円稼いでも割に合わないという親方稼業など、本書に綴られた赤裸々な内情に面食らう人もいるだろう。  しかし、それらは飛田を彩るピンクの照明のように妖しい光を放ち、読み手の心の奥にぐいぐいと入り込んでくるのだ。

    カテゴリから探す