「せんそう やめて」絵本を緊急出版
週刊朝日絵本作家の塚本やすしさんによる『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』(朝日新聞出版)が11日、緊急出版された。 文は、京都大学の学生と教員を中心に結成された「自由と平和のための京大有志の会」の「声明書」を平易な言葉で書き直した「こども語訳」だ。 せんそうは 「ぼくが ころされないように ...
絵本作家の塚本やすしさんによる『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』(朝日新聞出版)が11日、緊急出版された。 文は、京都大学の学生と教員を中心に結成された「自由と平和のための京大有志の会」の「声明書」を平易な言葉で書き直した「こども語訳」だ。 せんそうは 「ぼくが ころされないように ...
作家の太宰治は戦後、混迷の中で必死に生きる日本人の姿を描いた。その一つの短編小説「眉山」に、ある少女のエピソードが登場する。 主人公が馴染みの飲み屋で友人と雑談していると「基本的人権」が話題に上がった。すると女中の少女がすかさず、「それは、どんなんです? やはり、アメリカのものなんですか?いつ、配...
8月14日に「戦後70年談話」を発表した安倍晋三首相。作家の室井佑月氏は、どうも腑に落ちないという。* * * 8月5日付の朝日新聞「戦後70年『あの戦争』とは」という記事に、東大教授で歴史研究家の加藤陽子さんのインタビューが載っていた。 冒頭で記者は、「あの戦争とは何だったのかを考えるとき、...
日本人移民といえばブラジルなどの南米を思い浮かべる人が多いのではないか。しかし、戦前はフィリピンへも多数の日本人が渡って、農業や商業の分野で成功し、安定した暮らしを営んでいた。彼らの多くは現地に溶け込んで妻をめとり、家族をもうけていた。 そのような平穏な暮らしは、太平洋戦争の勃発によって一変してし...
1945年8月15日の戦争終結から、今年で戦後70年を迎える。エッセイストの海老名香葉子さん(81)は、家族を奪った東京大空襲の悲惨さをこう振り返る。* * * 1945年3月10日未明の東京大空襲のとき、私は疎開先の静岡県沼津市にいました。小学5年生。遠く東の空がぽおーと赤く染まるのが見えて...
モデルで国連WFP日本大使の知花くららさん(33)は沖縄出身。那覇市に住む祖父、中村茂さん(86)は、沖縄戦での集団自決の生き残り。これまで沖縄戦のことを、祖父になかなか聞けなかったという知花さん。戦後70年の今年、当時の詳細なできごとや祖父の思いをじっくりと聞いた。* * * 1944年9月...
終戦から70年が経ち、減っていく戦争経験者たち。モデルで国連WFP日本大使の知花くららさん(33)の祖父、中村茂さん(86)は、沖縄戦で米軍の捕虜となったひとりだ。当時、住民は「捕虜になるのは恥」だと教えられていたため、集団自決をしようとしたが、中村さんは生き残ったのだ。かつて戦場だった森の中を歩...
1945年8月15日、玉音放送が流れ、終戦が日本国民に伝えられた。しかし、その知らせを誤解する者も少なくなかったようだ。 70年前、日本本土を指す内地は女たちの戦場だった。戦争下の暮らしに耐え、なおかつ父を、夫を、息子を失った。それでも年老いた両親や幼い子供を抱えて生き抜いた。 大分県竹田町(現竹...
戦時中、国は多産を積極的に奨励。子供たちは空腹に耐えながらも国を信じ続けた。軍のために食料や燃料を集め、家族同然のペットも差し出した。編集部に寄せられた読者の体験談から、もうひとつの戦場で彼らが生きた記録をたどる。 学校は、まるで戦場だった。昭和18年、富山市の神通中学校1年生だった下村正行さん(...
元熊本県知事、第79代首相の細川護熙(もりひろ)氏は、戦後70年の談話(安倍談話)について持論をこう語る。* * * 私の祖父の近衛文麿は、亡くなる前の晩に次男の通隆に宛てて遺書のようなものを残していますが、その中で、日支事変の拡大、仏印進駐は自分の政治的誤りであったということを言っています。...