村上春樹の『を棄てる』は、副題にあるとおり、これまで避けるように触れてこなかった彼の父親について書かれている。デビュー作からずっと村上作品を読んできた者としては、その意外性だけで惹きつけられた。

 大正6年に生まれた村上の父親(千秋)は、京都にある寺の住職の次男だった。真面目な勉強好きで、僧侶育成の専門学校を出た後に京都帝国大学文学部に入学したが、学生時代に3度も召集を受けた。

 最初はまだ専門学校生の頃で、主に軍馬を世話する輜重兵として中国戦線に送りこまれた。村上が小学校の低学年だったとき、父親は一度だけ当時を回想し、<自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑した>事実を淡々と語り、動じることなく斬首された中国兵を、<実に見上げた態度だった>と評価した。

 この残忍な光景は父親のトラウマとなったが、その断片を聞かされた一人息子もまた、それを<自らの一部>として引き受けた。村上はこの経験を<引き継ぎ>と表現し、それこそが歴史の本質と理解した。

 若い頃から疎遠になり、絶縁のような状態が20年以上も続き、和解したのは父親の死の直前だった。とはいえ村上は、自分が存在している大前提である父親のトラウマを引き継ぎ、その戦時中の事実を時間をかけて調べ、<歴史は過去のものではない>と記した。

 村上と同じく、大正生まれの日本兵の息子である私も、亡父が口数少なく語った戦地体験を引き継いで生きている。戦争体験はなくとも、父親の苦い歴史を引き継いだ者たちには、その内容を語り継ぐ責任があるのだろう。

週刊朝日  2020年6月12日号