能町みね子の『結婚の奴』は、男性から女性へ性転換した作者と中年ゲイとの結婚に向けた同居を、進行形で描いている。

 2人の間には性的関係だけでなく、恋愛感情もない。そもそも、能町には「恋愛」なるものがピンと来ないのだ。だから、恋愛を美化する世間の声には敵意すら感じながら一人暮らしを続けてきたのだが、37歳の夏、<自分の生活と精神を立て直すため>という理由で恋愛なしの結婚へと動きだす。

 こうしてはじまった能町の結婚を巡る日々は、彼女のかつての男性体験や友人とのやりとりをまじえながら展開していく。テンポのいい文章、赤裸々な体験談、精緻な感情描写に裏打ちされた主張……時に苦笑しながら私が感受したのは、性的マイノリティーの苦難だった。

 能町は、恋愛至上主義をはじめとする世間の「常識」や「当然」の強さを痛いほど知っている。頑強で、吸引力もすごい。できることならば、どうにか折り合いをつけたいとすら思って生きてきた。だが、違和感は拭えないままつきまとう。

<私は寝ても起きてもずっと擬似をやっている気がする。本物の「当然」や「常識」に、私はどうやっても一生手が届くことはない>

 ヒリヒリするほどの深く暗い諦観。こんなものを抱えながら、能町は計画通り中年ゲイと同居する。そして1週間が過ぎたとき、<日常が革命的に変わっている>と感じる。人と暮らし、家であれこれ話すことで、日々が「生活」になったのだ。

 恋愛はなくとも生活はある。かくして能町は、常識に小さな風穴を開けてみせた。

週刊朝日  2020年3月6日号