孔子とその高弟たちのやりとりを、彼の死後に記録した『論語』。学生時代に習ったからか、そこにあるいくつかの短文なら、多くの日本人が知っている。しかし、『論語』をすべて読んだかと問われれば、ほとんどの者が首を横に振るだろう。

 今回の『一億三千万人のための「論語」教室』は、高橋源一郎がほぼ20年をかけて『論語』全巻を現代語に翻訳した労作だ。高橋は単に現代文に訳すのではなく、孔子が何を言いたいのか理解できるまで遺された言葉を聞きつづけ、まるで孔子がこの時代に語っているように再現してみせる。たとえば、有名な<子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず>の場合、前半はこうなる。

<(前略)最初のフレーズは、『仲良くすることは大切だが、だからといってよくわかってないのに「いいね!」ボタンを連打するのは考えもの』ということ>

 高橋は、SNSの機能を事例にして意味を伝える孔子の声を聞いたのだろう。弟子に政治の要諦を問われた場面では、「仁」を土台とした正直さからかけ離れた現在の日本の政治を揶揄する孔子の声を聞き、彼らの会話をテンポよく読者に伝える。これらの訳文に苦笑したり、感心しつつ気がつけば、私は初めて『論語』の最後に辿りついていた。

<子曰く、命を知らざれば、以て君子と為すなきなり。礼を知らざれば、以て立つなきなり。言を知らざれば、以て人を知るなきなり>

 もとより作家は臨場感を重視して書くとはいえ、2500年も昔の人である孔子たちの声をここまで生々しく聞き取るとは、高橋源一郎、やはり畏るべし。

週刊朝日  2019年11月29日号