過去を振り返り、あのときこうしておけば、と後悔することはたくさんある。たとえば、原発なんてつくらせるんじゃなかったとか、戦争なんか始めるんじゃなかったとか。こうなると知っていたら、あんな選択はしなかったのに。歴史を学ぶ意味は、後悔することにあるのかもしれない。

 中田永一の『ダンデライオン』は、大人になった自分と少年時代の自分とで、意識だけが入れ替わるという長編小説。ロバート・F・ヤングの短編「たんぽぽ娘」へのオマージュでもある。

 2019年の秋、31歳の蓮司は暴漢に襲われて気を失う。病院のベッドで目覚めると、意識は20年前、11歳のときの蓮司になっている。一方、1999年の春。11歳の蓮司は野球の練習試合中、ボールが頭に当たって失神。目覚めると意識は20年後、31歳の蓮司になっている。

 いきなり20年後の世界に放り込まれ、戸惑う少年蓮司(でも肉体は大人)と、大人の意識のまま20年前に戻った蓮司。時間跳躍を題材にしたSFは珍しくないが、本作のポイントは20年前に戻る蓮司にはあるミッションが課せられていることだ。

 1999年の春、鎌倉で強盗殺人事件が起きる。映画製作会社社長の夫婦が殺され、幼い娘だけが生き残る。事件は迷宮入りしてしまうのだが、その犯人を突き止めるのが蓮司の目的だ。しかも、タイムリミットは7時間。最後まで手に汗握る展開だ。

 過去の事実を変えることはできない。過去を変えれば、現在も変わってしまうからだ。しかし、過去を知ることによって、未来を変えることはできる。過去に学ぼうとしない者に未来はない。

週刊朝日  2018年11月30日号