10月22日は時代祭。古代から近代まで各時代の著名人に扮した市民が、京都御所から平安神宮まで歩く。清少納言と紫式部が同じ車に乗る。「ニコニコしてはるけど、ほんとは仲が悪るう二人やて」という声が見物客から聞こえる。

 紫式部が日記のなかで清少納言の悪口を書いている。清少納言は嫌な女だったのか、それとも紫式部の嫉妬か。

 山本淳子『枕草子のたくらみ』は意外な真相を明らかにする。『枕草子』の文章と、当時の宮中の状況とを照らし合わせ、清少納言の意図を読み解く本である。まるでミステリー小説のように興奮する。江川卓の『謎とき「罪と罰」』や、ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』を連想した。

『枕草子』は清少納言が一条天皇の妻、定子に仕えていたころのエッセイである。定子の周囲の優雅で楽しい日々が描かれている。しかし史実は逆だ。定子は兄たちが起こした政治スキャンダルに巻き込まれ、没落と出家、そして復帰と早世という波乱に満ちた生涯を送る。

 このギャップは何なのか?

『枕草子』は清少納言の身辺雑記ではなく、定子ひとりのために書かれたのだという。それも定子の存命中から没後まで長期にわたり書き継がれたと推測される。定子存命中は定子を慰め喜ばせるために、没後は彼女を讃えるために書かれた。そのために清少納言は、道化のように失敗してみせもした。

 定子の一族にとって政敵である藤原道長は、なぜ『枕草子』を歴史から消し去ろうとしなかったのか。それは定子の怨霊を恐れたからだろう。『枕草子』は鎮魂の書でもあるのだ。

週刊朝日  2017年10月13日号