サッカーに限らず、スポーツの世界では「~たら」や「~れば」は禁句である。厳しい結果を直視せずに仮想に逃げていては、そこから何も学ばず、改善点も見つけられないまま次に向かってしまうからだ。
 そんなことは重々わかっているのだが、日本代表チームの試合を観ていると、ふと、もしもオシムが監督だったらと考えてしまう。
 日本が2006年のW杯ドイツ大会で1次リーグ敗退した後に代表監督に就任したオシムは、日本人ならではのサッカーを標榜。リスクを冒しても攻める必要性を説き、それまでの代表チームには見られなかった攻撃型のサッカーをめざした。オシムはその変化を、「日本化」と表現した。
 サッカーの日本化。
 当時、私はこの表現に魅了され、『オシムの言葉』なる本を読んだ。旧ユーゴスラビア代表チームを率いて1990年のW杯イタリア大会でベスト8入りしたことや、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉を強豪に育てた実績はすでに知っていた。しかし、彼がボスニア紛争時に祖国に残った妻と娘と別れて暮らした経験などは、この本で初めて知った。何より祖国が解体していく状況下でサッカーと向きあった人物であるとわかり、私はその発言にさらに惹かれていった。考えなければ死んでしまう状況を生き抜いてきた人物の言葉は、どれも厳格に的を射ていた。
<君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ>
 家計を助けるため、数学者への道を絶ってプロのサッカー選手となり、選手としても監督としても結果を出したオシム。この増補改訂版には、病に倒れて代表監督を辞任してからの言動が追加されている。中でも、病後の身で、分裂したボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会を統合していく彼の言葉には、あらためて唸った。
 そのボスニア・ヘルツェゴビナも今大会に出場する。同国と日本が対戦したら、いったいオシムはどんな言葉を放つだろうか。

週刊朝日 2014年6月13日号