撮影:竹内敏信
撮影:竹内敏信

 4月1日、東京・目白に竹内敏信記念館がオープンする。ギャラリーと資料室が併設され、開館に合わせて写真展「天地聲聞 春夏編」も開催する。記念館の運営を行う竹内敏信記念財団の竹内昭子理事長に聞いた。

【写真】これぞ風景写真!竹内敏信さんの作品

「ふつう、記念館というと、亡くなった方の業績をたたえるためにつくりますが、竹内(敏信)が生きているうちに20万点以上あるフィルムや資料などをきちん継承するかたちをつくりたいと、ずっと思ってきたんです」

 長年、竹内敏信さんは風景写真を通じて日本の自然の魅力を多くの人々に伝えてきたが、2007年に脳内出血で倒れ、いまも闘病中だ。

 車いすの生活にはなったが、写真に対する情熱は失わず、時折、近県まで撮影に出かける。言葉をうまく話すこともできないが、今回のインタビューにはぜひ同席したいと申し出があり、すぐ隣で耳を傾けた。

撮影:竹内敏信
撮影:竹内敏信

写真事務所を記念館として改装し、運営の財団設立を思い立った

 昭子理事長によると、記念館をつくる構想は20年以上前からあり、北海道帯広市や愛知県東栄町に設立の動きは持ち上がったものの、うまくいかなかったという。

 その後、プリントした作品はすべて岡崎市美術館に、カメラコレクションは名古屋学芸大学にそれぞれ収蔵された。

 問題は残されたポジフィルムの保存だった。これは竹内さんだけでなく、多くの写真家が直面している問題で、適切な管理が行われないために劣化が進み、破棄されるケースもあるという。

 私自身、ある著名な写真家の遺族からフィルムを貸し出された際、あまりにみすぼらしい保存状態に愕然としたことがある。

 劣化を防ぐため、フィルムをスキャンしてデジタルデータ化して保存する方法もあるが、「竹内はデータ化にはすごく反対していました。どんどん変わっていく記録メディアに対応していかなければならないし、瞬時に消えてしまう可能性を懸念していました」。

 それまで昭子さんは外部にフィルムの受け入れ先を探してきたが、「全面的に発想転換」したのは昨年秋のこと。写真事務所として使ってきた建物を記念館に改装し、それを運営するための財団を設立すること思い立った。昨年末に大手術をしたことが背中を押したという。

「もしものことがあったら竹内を残して、このフィルムはどうするんだろうと。でも、財団が維持していけば、無事だろうと思いました。それで、急いでやらなきゃ、という感じになったんです」

「実は私が関わっている財団がいくつかありまして、その一つが日本伝統文化振興財団。例えば、人々の記憶から消えかかっているアイヌや沖縄の音楽、なくなってしまった会社の古いレコードなどをアーカイブ化している。そういう話を聞かされてきたものですから、『ああ、いま私がしたいのはそれだ』と思ったんです」

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「いまの私があるのは先生のおかげ」の声