『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ著、竹書房)、第18話「愛されたかった?」より一部抜粋
『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ著、竹書房)、第18話「愛されたかった?」より一部抜粋

 父が亡くなる前後は、まだそれがごっちゃになっていて、目の前の父に「お父さん」を求めている自分にゾッとしたこともありました。でも、この人には無理だし、優しくされたりすると嫌悪感で鳥肌が立って「金か? 下心か? 何を企んでる?」と信用はできない。悩んで悶えた結果、誰だって優しいお父さん、お母さんがほしいのは当たり前だけど、そんな父親は私にはいないんだなと、やっと理解することができました。

 うちと違って、本当に良い時期もあったという人は悩むかもしれませんね。でも、普段が最悪すぎて、アイスを買ってくれただけで「今日はお父さんが優しかった」と思っているなら違うと思います。それは不良が犬を拾うと「優しい!」って褒められるのと同じ。怒られなかったら優しいとか、何も起きなかっただけで良い日とするのはハードルが低すぎます。家族って顔色を読んだり、足音にビクついたり、息をすることにさえ気をつかう関係ではないものです。

――虐待によって植え付けられたものを、一つずつ整理していくのは気の遠くなるような作業ですね。虐待親が死ぬ前に、子どもがやっておくことはありますか。

 死ねば解決する問題じゃないから、できるなら少しでも早く距離を取ってほしいですね。急いで答えを出さそうとしなくていい、まずは自分が穏やかに生きることを優先すればいいと思います。私も生活が落ち着いて体力がついてから、いろいろと考えられるようになったので。向き合わなきゃと焦らなくても答えはいつか自分で出せるはずです。自分の人生を狂わせた親が死ぬときまで傍にいたら、満身創痍のままいろんなことをしなければいけませんから。まずは離れて休んで、体力を付けてほしいです。

――死ぬ前にお互いに本音を話して、わだかまりを解いておく……なんてことは?

 そんなの無理ですね! 無理無理!! そもそも話し合いができる相手なら、こんなに悩んでいません。「お前らを殴って何が悪い! お前が俺を怒らせるんだ!!」と思っている人たちには、悪気さえありません。本当の意味でわかり合えることはないと思います。

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復讐を企て返り討ちに…「許す・許さない」ではない問題